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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
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セミナー
2017/05/14
シニアライフカウンセラー養成講座<初級>(1)  
この週末は「シニアライフカウンセラー養成講座」の受講に、神戸・三宮まで通っています。「一般社団法人シニアライフサポート協会」が主催しているものです。「自分自身のシニアライフの準備が整えられ、家族や身近な人へのアドバイスも可能になる」とパンフレットにあります。

「具体的には、高齢者の住まい、不用品処分、不動産処分、遺言、相続、後見人、医療、介護、在宅支援、生きがい支援、就労支援、税務、保険、葬送仏事支援、お墓、遺品整理のことなど、高齢者が抱えている様々な困りごとや悩みを総合的にサポートし、解決へと導いていくのがシニアライフカウンセラーの役割」とも。

昨日は「初級講座A」として、まずは協会理事の小番一弘(こつがい かずひろ)さんから「超高齢社会の将来展望」についての講義。

総人口に対して65歳以上の高齢者人口が占める割合を「高齢化率」といい、高齢化率が7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」、21%を超えると「超高齢社会」ということ、日本は2007年に「超高齢社会」に入ったこと、諸外国に比べて、日本の高齢化のスピードが速いこと、それらは高校で小論文の指導にあたっていましたから知っていました。2025年には団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)に達することにより、介護・医療費等の社会保障費の急増が懸念されるという、いわゆる「2025年問題」も知っていました。ですが、「1人の若者が1人の高齢者を支える社会となる」という「2050年問題」は知りませんでした。…まあ、生きてないような気もするのですが、微妙ですね。

あと、平均寿命と健康寿命の差が約10年あることも知りませんでした。…ふう〜ん…。

次の講義は「介護保険」について。介護施設の施設長をされていた方からの講義。介護認定は「要支援」の場合は「地域包括支援センター」で、「要介護」の場合は「居宅介護認定は支援事業所」で、というのを初めて知りました。
介護保険利用者の負担割合も、原則1割負担ですが、一定以上の所得がある場合2割負担であることも初耳。

この介護保険制度は3年に一度法改定されるそうで、2015年に改定なったので、次回は2018年だそう。…高齢化の状況変化に対応させるわけですね。…ということは、今の介護保険適応が、どんどん外されていく可能性もあるということです。…う〜ん…。

午後からは「相続」の話。大阪市浪速区で事務所を構えていらっしゃる松田一郎さんから。司法書士、土地家屋調査士、CFP(フィナンシャルプランナー)でいらっしゃるそうです。
私は3年前に父を亡くし、その後の手続きのあれこれがあったので、総ざらいのようでわかりやすかったです。ですが…初めて聞かれる方は、この時間だけでは盛りだくさん過ぎて、わかりにくかったでしょうね。

次は「エンディングノート」。別の講座でお仲間の方の講義となりました。M&M社会保険労務士事務所代表の北村滋郎さんです。

エンディングノートとは「自分に万が一のことがあった時に、残された家族が困ることがないように、自分の考えや自分しか知らないことを記録するノート」であるとテキストにはあります。また「自分自身の希望を実現するため、気持ちをキーパーソンに上手に伝えるための終活ツール」であるとも。キーパーソンとは、同居の家族、近くの親族、遠くの親族、友人知人、専門業者を指すようです。

しかし本当に大切なのは「家族への思いと感謝の気持ちを伝えること」と「自分自身の今後のよりよい人生のための指針ともなるもの」だというのです。…前者は理解していましたが、後者の視点は持っていませんでした。

テキスト以外の北村さん独自の資料が魅力的でした。「書き方よりも考え方が大切で、自分がどう生きてきたかを遺したい。」「考え方(価値観)を切り替える。『足し算』の人生から『引き算』の人生へ」「同じことを繰り返して身に付ける知識・技能(ノウハウ)ではなく、自分を発見するための思考力が『価値観』。自己を批判する力であり、出会いによって磨かれるもの」。…う〜ん、なるほど!

最後はこの道43年という葬祭ディレクターの井上康孝さん。(株)日本葬儀社 代表取締役であられる方でした。50分の講義時間は短い!とばかりに縦横無尽にお話を繰り広げられました。訃報を聞いた時にまず発する言葉は「お悔やみ申し上げます」。これは亡くなった方への言葉だそうです。「御愁傷様です」は残された方に対する言葉。まずは「お悔やみ申し上げます」という言葉を、というお話から始まりました。…なるほど。「『葬儀』とは『葬送儀礼』の略です」とも。

最後に20分の認定試験があり、それで終了しました。結果は1週間後だそうです。今日は「初級講座B」です。楽しんできます。

画像は、朝の杏樹(アンジー)との散歩で見つけた、ご近所の薔薇。

セミナー
2017/05/13
セミナー「アルバムセラピー」  
「生まれてから今までの人生で、撮り貯めた写真やアルバムと筆記用具を持参するように」とのことで始まった、アルバムセラピー。昨日の午後、「日本アルバムセラピー協会」によるセミナーに参加しました。参加者5名。インストラクターは代表理事の林さゆりさん(なんと直々に!)。ステップごとの課題に取り組みながら、一定時間後にはみんなにシェアします。一巡したら、ひとりの人にシェアの感想を言ってもらいます。

用意された「基礎セミナーテキストブック」に従って、「Step1 生まれたての赤ちゃんの時の写真」。参加者の写真は皆モノクロ写真でした(時代を感じさせます)。写真を貼るスペースの右側には、2つの記入項目欄があって、ひとつは「その時のお父さん、お母さんの気持ちはどんなものだったのだろう?」でした。もうひとつは「あなた自身の思うことを書いてみてください。」

屈託なく笑っている私。こんな笑顔を見ていたら、父も母も幸せ気分だったろうなあと思われました。でも、そもそも赤ちゃんの私が笑っていられたのは、私が笑いかけてもらったから。…なんだと気づきました。

「Step2 幼少期(小学校3年生くらいまで)の一番思い出深い写真を探して見てください」。右側の記入項目欄には「小学校の時の得意だったことは?」と「宝物は…?」。

ふう〜っと、時間を遡って、私は小学生の頃に戻っていました。その時の家の雰囲気。部屋の様子。…私の好きなことは何だったっけ? 私は幼稚園の時、尿にタンパクが下りて、腎臓病ということで、5歳の時、走ることと醤油ダメと言われた…。それで外で遊ばせてもらえなくて、片っ端から絵本を読んでた。絵本だけじゃ飽き足らずに2歳上の従姉の教科書も読んでいた、らしい。…そうそう、4年生では、毎月届く「世界文学全集」が何よりの楽しみだった。

「Step3 自分の『大好き』を見つけよう!」。サブタイトルに「とびっきりの笑顔の写真を探して貼ってみましょう」とあります。とびっきりの笑顔。…ということは、楽しかった時の写真ですね。それはいつ頃のことなのか、何をしていた時なのか、誰と一緒にいたのか、その時のシチュエーションがリアルに蘇ります。右側の記入欄には「その写真を見て出てくる感情を書き出して見てください」とあります。「出てくる感情」…直球です。

20代の写真。結婚する前。夢と希望に溢れてた、わけではなく、何が、ということなく不安で、自分で自分を持て余してた。私は自分に自信が持てなかった。私は自分が嫌いだった。…ホント、私は「若い時」に戻りたいとは思いません。今の方が気持ちが穏やかです。

「Step4 自分の『大嫌い』を探してみよう!」。サブタイトルは「今度は大嫌いな写真・見たくも無い写真を探してみましょう」でした。…これはちょっと困りましたね。急いで用意して持参した写真は、やっぱりまあまあお気に入りのものばかりでしたから。右側の記入欄には「その写真を見て出てくる感情を出してみてください」でした。「手元にない場合は、想像してきてもらってもいいですよ」とのことで、いつの頃の写真が嫌いかなあと思い出しながら取り組みました。

私は中学生の頃を思い出して、、周りのみんなと合わさなければいけなくて苦しかったことを記入しました。けれど、他の人の発表を聞いていると、「あ、私も職場の集合写真が嫌いだ」と気づきました。私の中学時代と同じで、同調の圧力を感じた学校社会。…そうなんだ、中学時代と同じだったから息苦しかったんだ、と気づきました。

みんなのシェアを聞いて感想を言う番だったので、次のような感想をシェアしました。
「私もなんだかやりにくいなあと思いながら取り組んだのですが、みんなそれぞれ『嫌だった』のは自分が納得できないことを無理矢理やらされている時のものでした。でも、それがあったからこそ、その状況をなんとかしたいと動き出して『今』がある、ということがわかりました」

最後のステップ、「Step5 一番『思い出深い写真』を探してみよう!」。サブタイトルは「強烈に心に残っていること、自分の人生に大きく影響を与えた人、大切な人と一緒の写真、子供の頃の深く傷ついた写真、忘れられない出来事、人生の転機など転機など…そんな写真を探してみましょう」。右側の記入欄は「湧いてくる自分の感情を書き出してみてください」。

自分の人生に大きく影響を与えて人は何人がいるけど、私は子どもの写真を選びました。2歳ぐらいの時の。生まれてきて、こんなに可愛いのか、と思いました。すごく活発な子だった。好奇心旺盛で。聞き分けも良かった。…後年、おこもりして、本当に心配したけど、それもいい思い出。教員としても、母としても、鍛えて貰った、と思います。

可愛くて可愛くて…だけど、私は親に束縛されて苦しかったから、同じ過ちは繰り返したくないと思っていた。…今から思うと、ちょっと気負いすぎだったかな…。もう少し、ゆったりと接してあげればよかった。そうしたらこの子が生来持っているエネルギーは、もっと伸びやかにこの子を育ててくれたような気がする…。今は、何か、エネルギーの行きどころがなくて、自分の中で、滞っている気がする。…でもまあ、そんな時期も必要か…。

面白いですね。昨日のセミナー3時間で湧き起こった気持ち以外に、今、湧いて出た気持ちもあります。
写真を見ることは、過去を見ているようで、「現在の自分がその時をどう見ているか」ということだから、「現在の自分」がクローズアップされてくるのですね。ふう〜ん…そういうことか。

「写真をここに持ってくる過程で、アルバムを見ていた時から、もう始まっているのです」とインストラクターの林さんに言われました。…そうですね、確かに。そして、セミナー後も影響は続くのですね。

単に「撮りためた写真を持参するように」とのことでしたが、5つの項目の概略を予め示して、それに合う写真を何枚かずつ持ってきてもらう、というのもいいかもしれません。展開が予測できて面白味に欠けるという危惧があるから、何の指示も出されなかったのでしょうけれど、でも、候補を何枚かずつ、とすれば、その場で最終的に何を選ぶかで自分のこだわりが一層見える気がします。

「この作業を通じて生まれる気持ちは『感謝』ではないでしょうか? 参加者の半数は泣かれます。」とのことでした。…そうですね。一緒に写っている家族の若い姿に、様々な思いがよぎります。私はひとりではなかったんだ…こんなにも愛されていた…など。家族と何かの事情で断絶している人の心を癒したり、自分史を残したい人に取り掛かりやすいツールなのではないかと思います。インストラクターコースを考えたいと思いました。

画像は「Step3」での私の写真。

幸せをおすそ分け
2017/05/12
錦帯橋での再会  
ピーターラビット展のあと、今度は山口・錦帯橋目指して、移動しました。CDA資格を一緒に目指して勉強した友人がそこに住んでいるので。CDA(キャリア・ディベロップメント・アドバイザー)、いわゆる「キャリアカウンセラー」資格は二人とも無事1回で合格しました。…もう5年近く前のこと。私が勤めていた広島県廿日市西高校に、「キャリアカウンセラー」として週1回やってきた彼女と、就職担当だった私は、一緒に仕事をすることになって知り合ったのでした。

「ねえ、一緒にCDAを目指さない?」と持ちかけたことを覚えています。確か…、ペアで受講すると講座受講料がちょっと安かったような。それで誘ったのでした。

そのあと、CDA資格を持っていたら、国家資格の「キャリアコンサルタント 2級」資格が、「学科免除」となるのが、確か、平成25年度までで、CDA資格を取ってから1年間しかなくて、それでもとりあえずチャレンジするためのあれこれ…「免除講習」なるものを大阪まで受けに行くのとか、面接練習とか、を一緒にしました。

残念ながら、「キャリアコンサルタント2級」資格は取れなかったのですが、その時以来、お互い忙しくて会ってないような気がします。…となると、4年ぶり、でしょうか。

相変わらず背が高くて(いや、背は変化しないか…)、涼やかな声で、ほんわかした笑顔が素敵な彼女でした。キャリア関係のお仕事以外に「行政書士」のお仕事も始めたそうな。え? 行政書士持ってたの⁈ と驚く私に、「うん…もっと若い時に、取ったものよ」って。(「もっと若い時」という言い方が、いいなと。「若い時」ではなくて。うふふ。)

遅いランチを取った後、錦帯橋を渡りました。久しぶりの錦帯橋でした。

この場所は亡くなったお父さまの故郷で、彼女自身は広島生まれの広島育ちだそうな。自分の生まれ育った場所ではないところで今後を生きて行く、というのは私も少し似たところがあります。でも、彼女の方が県も違うし、大変。友人もいなくて辛かった…と言いました。でも、偉いね。ここで根を生やして生きて行くんだね。親の介護で東京を引き払って、ここに移り住んで、もう11年なのね。

彼女の密かな「チャレンジ」も聞かせてもらって、あっという間に2時間半が経ちました。

ありがとう。時間取ってくれて。また、会おうね。また、どんな仕事を作ったのか、聞かせてね。私も自分の仕事を作って行くから。

絵本の世界
2017/05/11
ビアトリクス・ポター生誕150周年  ピーターラビット展  
子どもの下宿に泊まった日、「明日は何時に出るの?」と聞いたら、「1時間目からだから8時過ぎ」と。
子どもの1限目の授業にくっついて行って、一緒に授業を受けようかと思ったのですが(生来の好奇心がむくむくと湧き上がって、経済学の授業ってどんなかなぁと思って)、子どもが嫌そうな顔をしたので、おとなしくやめることにしました。

それで、アストラムラインの駅で別れたのですが、さて、どうしたものかと思っていたら、吊り広告で「ピーターラビット展」が案内されていて、行くことにしました。

ピーターラビットの作者は女性で、最後は広大な土地を環境保護のためのナショナル・トラストに寄付した…ことぐらいしか、知りませんでした。以下は、会場で購入した図録の解説からの抜粋です。


ピーターラビットのお話は、作者ビアトリクスの最後の家庭教師だったアニーの、病気の息子に宛てた一枚の絵手紙から始まりました。「ノエル君へ あなたに、なんて書いたら良いのか分からないので、4匹の小うさぎの話をしましょう」1893年、ビアトリクス27歳の頃でした。

手紙に書かれた物語を他の子どもたちのためにも出版すべきだと考えたのは、ノエルたち8人の母アニーで、大切に保管していた手紙をビアトリクスに送り返しました。

絵本より先に彼女の描いたクリスマスカードが販売されていた(1890年)のですが、絵本はなかなか出版を引き受けてもらえず、最初は自費出版で数百冊を作り、1902年にようやくフレデリック・ウォーン社から『ピーターラビットのおはなし』が出版されました。

母ヘレンはビアトリクスが40歳になるまで、独裁的できわめて支配的であった上に、子どもが社会的に身分の低い人と結婚することを許さない人だったようです。
ビアトリクスの母に対する服従心は強いものだったようですが、そこから逃れることができたのは、イマジネーションの世界と暗号日記の中においてだけでした。(彼女が15歳から31歳まで書いた暗号日記が初めて解読されたのが1958年)

フレデリック・ウォーン社を訪問しているうちに、ビアトリクスは編集者のノーマン・ウォーンと知り合います。やがて1905年に、ノーマンは当時39歳のビアトリクスに手紙で結婚を申し込みます。両親はビアトリクスがこの求婚を受け入れること、そして婚約を公表することを許しませんでした。

1ヶ月後、ノーマンは悲劇的なことに急性白血病で亡くなってしまいます。ビアトリクスは自分の出版の収入と叔母からのわずかな相続金で、湖水地方にあるヒルトップ農場を購入しました。そこは子どもの頃、夏に過ごしていた場所の近くでした。

その後、農場での生活に関心を持つようになったビアトリクスは、周辺の農場も買い取っていきます。その時に知り合った弁護士ウイリアム・ヒーリスから1912年に求婚され、両親に隠し続けますが、1913年に47歳で結婚します。(ウイリアムは43歳)

美しい湖水地方は、産業革命を拒んできた場所であり、ワーズワース他「湖の詩人たち」と呼ばれていた英国詩人たちのグループがそこに住んでいました。後に、偉大な美術評論家で、今日で言うところの環境保護、持続可能性、手工業を推奨した社会工学者でもあったジョン・ラスキンが1871年に移り住んできました。彼はオクタヴィア・ヒルとともに不動産に投資し、貧しい人々に貸し出して、彼らの自立と自己改革を求めました。(ヒルは1895年にナショナル・トラスト設立者のひとり)

ビアトリクスはナショナル・トラストに参加し、1943年に亡くなった時には、彼女が所有する湖水地方の土地は、彼女の写真と水彩画とともにナショナル・トラストに遺贈されました。


ビアトリクス・ポターは自分のことをフェミニストだとは思っていなかった(女性の権利運動、婦人参政権者には反対だった)とありますが、でもその生き方は、女性が自分で働いて賃金を手にして、親の価値観とは異なる自分の価値観を貫いて…と、女性の自立を実現する人生だったと思います。
いろいろと制約があり、大変な人生であるにもかかわらず、一歩一歩、自分の歩みを進めているところが凄いなあと思います。47歳で結婚、というのも、いくつになっても、新しいことにチャレンジできる人だったのですね。

思わぬ「拾い物」をしたようで、いい時間を過ごしました。




美術館敷地内のカフェ。

展示館までの道に、いたるところに動物たちが!



子どもとの時間
2017/05/10
子どもとの時間(5)大学4年生 ②  
広島駅に午後5時前に着いて、そのまま在来線で横川駅に行きました。子どもとの待ち合わせ場所をそこにしていたので。ラインで少し遅れるという連絡が入り、…そういえば、リアルタイムで連絡が取れるようになって、若い人は待ち合わせ時間もあまり気にしなくなったという記事を読んだなあ…と思いつつ、私はやっぱりアナログだから、約束の時間前に来てないと不安だなあと。

無事会えて、予約していたイタリアンのお店に。

子どもは少し元気なさそうだった。…単位不足を補うための資格検定試験は今月の21日だそうな。スパークリングワインで乾杯しようと思っていたのに、お酒はやめているとかで、「まあ、今日ぐらい…」と勧めても頑なに「いや、いい」と。…願掛けでもしてるのかしら?

ママは構わず、スパークリングワインと白ワインを空けました。

「3686gで、20時間頑張った後に帝王切開になって、大変だったよ」と言っても話に乗って来ず。…いやそういうことを言いたいんじゃなくて、…生まれて来てくれてありがとう、と言いたかったんだよ。

今朝は7時に起きて、8時過ぎに下宿を出ると言ってた。1時間目の授業があるそうで。私も同じ時間に出るつもりだけど、その前に、…なんて唐突に変だよね。…まだ時間はある。もう少し考えよう。
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