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  1. コラム
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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
絵本の世界
2017/02/24
さかざき ちはる作『ペンギン ジャンプ』  
こんな本いつ買ったのかしら? というものが本棚から出てきました。それが『ペンギン ジャンプ』。サブタイトルに「新しい世界へジャンプする若きペンギン」とあって、短い羽(?)を精一杯広げてペンギンがジャンプしている図柄の表紙です。作者はJP東日本のICカード「Suica」のペンギンイラストを制作、と奥付にあります。2000年初版、私が買ったのは、2006年の初版第5刷。

ふ〜ん…「Suica」のペンギンか…。

「ペンギンが南極とそのまわりの
   小さな島にだけ住んでいた時代は
   終わりを告げた

   いまやペンギンはその活動の場を
   全世界に広げている」

ということらしく、「ペンギンは/人間世界にとけこもうと/日々 努力している」そうで、
「あるときはレストランのウェイター」「あるときはホテルのボーイ」…と続いていきます。

普段は目立たない(ハズの)生態を描写していくのですが、妙に人間臭くて、変な奴、なのです。なぜだろう? と考えると、つまりは、いろんな職種に「ジャンプ」(=チャレンジ)していく姿が妙に生々しいのだと思います。

でもまあ、こんな「隣人」がいてもいいかもね、と思わせる力量はさすが! ペンギンを自由に羽ばたかせて、ほっこりさせられるのは、ペンギンとともに読む人を羽ばたかせているのでしょうね。

子育て
2017/02/23
愛染幼稚園  
昨日の朝刊に、奈良市にある私立愛染幼稚園で、百人一首のカルタを学ばせる話が載っていました。歌人の天野慶さんが、ご自分のお子さんの入園をきっかけに、幼稚園で百人一首を教えるボランティアを引き受けることになったとのこと。東日本大震災の後、余震を恐れて東京から奈良に移住されて…ということらしい。昨年、夫の転勤でまた東京に転居されたとありました。

愛染幼稚園って、私が通った幼稚園だったなあと思い出し、カウンセリングルームのある学区の幼稚園に絵本の読み聞かせボランティアに行くなら、やっぱりこちらにも、と思ってお電話したら、急遽、園長先生が会ってくださることになりました。

ほとんど半世紀ぶりの幼稚園は、建物も様変わりして、L字型の総二階建てには、綺麗なお部屋が並んでいました。お部屋も廊下も板張りがしてあって、木のぬくもりが感じられました。

園長先生は私より五歳年上の方で、息子さんを二人育てられたとのこと。仕事を持ちながらの子育ての話やら園児のお母さんの話やらで、あっという間に2時間経っていました。

お茶室も設けられていて、ここでは静かにお話を聞くことを教えられるとか。抹茶茶碗も本物の大きさのものを用意され、丁寧に扱わないと割れるという経験をさせるそうで、それには痛く感心しました。割れないプラスチック製などを用いてはいけない、なぜなら、注意深くしないと割れるし、お湯も熱いから気をつけることを学ばせたいので、ということでした。

何でも便利になってしまって、代用品が溢れていて、それが物に対する粗雑な扱いになってしまったり、リセットすればまたゲーム開始になるような感覚で、壊れたらその物はもう元には戻らないんだ、という「取り返しのつかなさ」がわからなかったりの世の中になっていると思います。

同じように、人の心も丁寧に付き合い、丁寧に扱うことが不足しているように思います。他人に対しても、ですし、自分に対しても、です。

丁寧に扱われなかった子どもが、どうして他人を丁寧に扱うことができるでしょう?

幾つになっても変わることができるし、成長もできる。だけど、できることならば、余計な苦しみをたくさん味わわなくて済むならそれに越したことはない、と思うのです。若いお母さん方に関わらせていただくことで、少しでもお母さんたちが自分の親との関係から受けた傷を癒し、そして自分の子どもへの関わり方が変わるなら、これほど嬉しいことはないと思います。

来年度、また関わらせていただける場所が増えました。私も新しい出会いを楽しみにしたいと思います。
画像は、遅い昼食を取りに行った高畑の喫茶店「みりあむ」。30年来の友人、フランス人のミリアムがやっています。店内は亡くなった節夫さんの手作り内装です。

詩の世界
2017/02/22
言葉遊びが拓く世界〜ほしのいたるの詩「社会科学習」〜  
昨日は雪がちらつくようなお天気だったかと思うと、今朝は放射冷却で朝が冷え込み、昼間の気温は上がるようです。変動が激しくて、落ち着かない毎日ですけれど、もうすでに今年の「春一番」は吹いたようですね。あっちに行ったりこっちに来たり、というお天気に似た、ちょっと言葉遊びのような詩をひとつ。「読書への誘い」第33号で紹介したものです。


続き
詩の世界
2017/02/21
書くとはものとの距離を取ること〜安西均の詩 「第一課—ある『詩の教室』で」〜  
コラムはこのところ毎朝1時間ぐらいで書いています。そして、毎日なんやかやあるので、今のところ書くことに困らないのですが、多分、不調に陥ると書けなくなる気がします。「不調」というのは、ものごと(人を含めて)と自分との適切なキョリが取れなくなる状態で、そうすると、起こる出来事に対して、冷静な判断ができなくなるのですね。一昨日は「クリアリング ア スペース」という、ものごととの距離の取り方の方法を知りましたが、「書く」ことも、ものごととの距離を取る方法になるのではないかと思います。…そう信じるから、国語教師を続けてきたのですけれど。

ということをつらつら考えていると、安西均の詩が思い浮かびました。「読書への誘い」第6号で紹介したものです。
続き
ゲシュタルト療法
2017/02/20
クリアリング  ア  スペース(Clearing a Space)  
GNK主催のゲシュタルト療法ベーシックトレーニングコース第11回2日目は、「クリアリング ア  スペース」から始まりました。1枚の画用紙の真ん中に、自分で自分を呼ぶ時のしっくりくる呼び方を、しっくりくる色で書きます。そして丸で囲む。次に、今、心に浮かんでいる「気になっていること」を、これまたしっくりくる色を選んで好きな位置に書き込みます。そして、また好きな色と形で囲む。他にもう気になることはないかと自分の中を探り、同じように書き込んでいくのです。

「気になること」と言われて、まずは気がかりな「嫌なこと」が浮かんだのですが、次第に、気になっている「楽しいこと」も浮かんできました。最後に「馴染みのある感覚を書き入れてください」と言われ、右下にもやもやする気持ちを紺色でぐしゃぐしゃと書き込んだのですが、その気持ちは「気になること」全般に対してではなく、「嫌なこと」がクローズアップされて生じていることに気づきました。「嫌なことばかり」ではないのに、どうも気持ちは「嫌なこと」に引きずられている、ということに気づいたのです。

「気になること」のうち、「嫌なこと」に対してはトゲトゲの形で囲みたくなり、愛情を感じるものに対してはハートの形で囲みたくなりました。

そうして「一旦、その、気になることを、横に置いてください。」と言われ、少し自分から切り離して「眺める」ことができました。ピッタリ自分に張り付いているように感じられていた「気になること」から少し離れられ、心に余裕ができました。

「気になることはこのようにして、横に置くことができるということを覚えていてくださいね。」と言われ、…そうか、こんなふうにして「気になること」との膠着状態から脱することができるんだ、ということを知りました。

「買い物メモと同じことですね。書き上げたら、実際に店先まで出向いて買うまで、ちょっと忘れていることができる。必要な時にメモを取り出せばいいのだから。書き上げるとそれで、必要な時まで忘れていることができるのですね。」

ふむふむ、そういうことか。それに、特に何が気になっているのかも一目瞭然。私の場合は、トゲトゲの形で囲まれたことがら。

これはフォーカシングの一つの所作のようで、「 気がかりやその〈感じ〉から適切な距離をイメージしてみる」ことだそうです。「悩む」とは気がかりや〈感じ〉を近くに 持ちすぎていること。適切に距離がおけたら、気がかりを「冷静に」眺めることができるというのです。

それでは、ゲシュタルト療法はフォーカシングとどこがどのように違うのか。

凛さんは、まだはっきりとはしない「もやもやしたもの」や「言葉で言い表すようになる前の感覚」をフォーカシングでは、フェルトセンスと呼び、それを探ったり、味わったりというところは共通点であるけれど、「では、それをここに置いてみましょう、というように『視覚化』するのはゲシュタルト(療法)」と説明されました。フォーカシングはそういった「視覚化」はしない、と。

もやもや感を視覚化して、一旦自分から切り離して眺めていると、それ自体が動き出して形や意味が変わっていく…、ということがゲシュタルト(療法)では、よく起こります。気持ち悪く感じていたものが、それほどでもなくなったり、別の物に形が変わって、「そういうことか!」という気づきが生まれたり。

このダイナミックさはゲシュタルト(療法)特有のものである気がします。逆に、微細で繊細な感覚を探っていくのがフォーカシングの特性、という理解を私はしました。

そのあとワークを受けて、途中で、「現実的な問題としての関わり方という問題もあるけれど、今ここでは、ゲシュタルトでできること、つまり、まこさんがその人への関わりをどうしたいのか、ということを扱いたいのですが、いかがですか?」と提案されて、これにもはっとしました。…そうか、ゲシュタルトでできることは、問題と感じていることに、私がどう関わりたいのかを明確にすることなんだ、と。

このような整理の仕方は、チェックインの時に「ゲシュタルト(療法)は万能ではない」と言われたことにつながります。それは、他の療法との関係だけでなく、ゲシュタルト(療法)はどのようなことがらを扱えるのか、ということ。
第11回は、残り1回を前にして、ゲシュタルト療法に対してさまざまに整理することができたという意味で、本当に豊かな2日間でした。有村凛さん、ありがとうございました。
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