釈迦に帰依し、出家したら、戒律を守らなければならない。
「戒」とは、起こしてならないこと。時代によって変化しない。
「律」とは、日々の生活習慣。時代によって変化する。
「得度式」は入門式のことで剃髪する。
「具足戒」とは、戒を具足することで、「受戒」ともいい、正式の僧侶になる。
戒は男子250個、女子348個。女子の数が多いのは、時代が下ってから定められたから。
そうして、戒を守っているかどうかの確認を月2回の「布薩会(ふさつえ)」で行う。
その確認を行う集団がサンガ。
…となると、サンガは単に「仏教を信じる者の集まり」ではないのだな、と気づきました。
「帰依する」とは戒律を守って初めて言えることなのだ、と。
では、何のために戒を守るのか。
それは、生活をしやすくするためだというのです。
戒を守るのは生活をしやすくするため。
生活がしやすくなると、坐禅しやすくなる。
坐禅しやすくなると、悟れる。
坐禅しないと悟れない。
坐禅するためには、呼吸を整える。とにかく、座る。
その時に適した座り方があって。「数字を数えなさい」と教えられることもある。
煩悩が減ったら智慧が増す。
欲を少なくするために坐禅する。
つまりは、智慧を増やす環境を作る、ということなのだ、と。
「苦集滅道(くじゅうめつどう)」。
苦しみがあると、集めてくる。集めるのは「過去」。
「滅」とはなくすこと。「道」とは方法。「滅道」で「なくす方法」。
過去に記憶を拾いに行くのをやめさせるのが坐禅。
「諸行無常」。
(「この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないこと」とウィキペディアにありました。)
それがわからないと始まらない、と。
すがたも本質も常に流動変化するものであるならば、過去の記憶を「拾って」きても、意味がない。
それはもう済んだこと、終わったこと、なのだから。
今回、慈照尼が「安楽に生活するコツ」としてくださったプリント資料の中に、「十二縁起」がありました。
「十二縁起」とは、生活の中の苦しみや悩みをなくすための、根元に戻る12条件、なのだそうです。
12の区分、それぞれについての解説が、とてもわかりやすいので、そのままを引用します。
・無明(明るくない・迷いの中にいる):生存などの根本の欲
・行(業):生活の行動パターン・志向
・識(識別):好き嫌いなど、選別する思い
・名色(名付けられるモノ:物質・精神):実際のモノの形とその名前
・六処(六根:眼耳鼻舌身意):感覚器官
・触(六処の接触するモノ):感覚器官が外界と接する・触れること
・受(感受):六処→触から感受すること
・愛(渇愛):愛着・妄想
・取(執着):取ること
・有(ある):内在すること
・生:生まれること
・老死:老い死ぬこと
無明によって、苦は生じさせ、順を追って観ることになり、「流転」の縁起となる。
無明がなくなると、苦は滅せられ、逆に戻って観ることになり、「還滅」の縁起となる。
「縁起」とはきっかけのことだったか…と思って調べたら、ウィキペディアには、「プラティーティヤ・サムトパーダとは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。」とありました。
坐禅では、この「無明」から「老死」までを思う、そうです。
一方で、「分別」と「無明」のみの区分けで可とする考え方も出てくるそうです。
慈照尼のお話は、自在で興味深く、いろんなところに話が及ぶのですが、今回は、ティク・ナット・ハンご自身の前書き「雲と洞窟ー新たな般若心経」の注に「本書では、アモーガヴァジュラ(不空金剛)の編纂によるサンスクリット語の般若心経のタイトル名を採用した」とあって、そこから、いったいどんな人のどんな訳があるのか、を網羅した資料を作ってくださっていて…本当にびっくりしました。
・『摩訶般若波羅蜜大明咒經』鳩摩羅什(くまらじゅう)譯 402年 298字
・『般若波羅蜜多心經』三蔵法師玄奘譯 649年 260字
・『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』空海 830年頃 262字
・『普遍智蔵般若波羅蜜多心經』法月 732年 660字
・『般若波羅蜜多心經』般若 790年 553字
・『般若波羅蜜多心經』智慧輪 882年 576字
・『般若波羅蜜多心經 敦煌(とんこう)石室本』法成(ほうじょう) 856年 588字
・『佛説帝釋般若波羅蜜多心經』施護(せご) 980年 720字(真言別)
☆『唐梵翻對字音般若波羅蜜多心經 井序』慈恩和尚 (敦煌出)
このうちの☆印のものが、ティク・ナット・ハン師の元本だそうです。
次回は、少し、坐禅の仕方を教えていただこうと思います。
画像は、翌朝の帰りに寄った賀名生梅林。
「お天気が良くないので、まっすぐ帰ります…」と言って慈照尼宅を出たのですが、車を運転している内に少し日が射してきたので、ちょっとだけ寄りました。