私はびっくりした。イベントをするのに、3,500円が高額だという意識はなかった。「今頃、無料の演奏会もありますからね。」
…そうか。ピアノコンサートでは人を集められないのか。
では、どうすれば、いい?
もう、これは。私を全面に出して、私と過ごす90分なりに価値を感じてくれる人を集めるしかない、そう思った。
私の64年をどんなふうに語ろう?
10年ホームページでお世話になっている、リウムスマイル!の穂口さんとの30分無料相談が、大きなヒントとなった。
14までは、私、ピアノで自分の感情を表現していた。
14ぐらいから、ピアノの先生と解釈が合わなくなって。ピアノを弾くのが苦しくなった。
それとともに。私は書くことへと移行していったのだった。
17の歳には、私は全くピアノを弾かなくなり、書くことのみになった。
言葉をつらつら書き連ねていた、14、15、16、17、18、19、20、21、22。
22の歳には、自分の書いたものが醜い、と思ってしまった。
誰にも向かわない言葉。誰とも繋がっていかない言葉。
蛇がトグロを巻くように。私の言葉は、どこへも向かわないで、ただ、自分の気持ちを吐露しているだけのもので。
そんな「醜い」言葉を、生み出すことに疲れてしまった。
私は。一旦、書くことをやめようと思った。
もし、書くとすれば。誰かと繋がっていく、誰かに語りかける言葉を、と思った。
…そこまで語った私に。穂口さんは「そのところが聞きたい」と言ってくれた。
タイトルも「弾くこと、書くこと、対話すること」でいいやん、と言われた。
そうか、と思った。副題をつけて「弾くこと、書くこと、対話すること〜ピアノとともに振り返る、私の64年〜」とした。
≪口語自由律の歌である。
作者は、文語や定型にとらわれない新しい形の短歌を模索している一人だ。
私自身は、短歌という表現手段を選んだからには、五七五七七の定型は守りたいと考えている。
そのリズムは、なんてことない自分の言葉に力を与えてくれる、魔法の杖のようなものだと感じているから。
口語自由詩は、この魔法の杖を使わないという、実は不自由なところから出発しているというこ とを、忘れてはならないだろう。
その上で歌になるということは、たいへんなことだと思う。
掲出歌は、私が愛誦している数少ない自由律の一つだ。
「言いあてられた」というのが、この歌を読んだときの第一印象だった。
今、自分が一人でいるということ。すべてがひらがなで書かれている。
なにかそれは、少女がぽろっと人生の真実を言葉にして 呟いてしまったような、純粋さと恐ろしさとを感じさせる表現だ。
と同時に、最後の「ふたり」という言葉にたどり着いた途端、また最初の「いつか」という言葉に戻ってゆくような、メビウスの輪のような終わりのなさをも感じさせる。「いつかふたりになるためのひとりだけれどふたりになっ たとしたらそれはやがてひとりになるためのふたりででもやがてひとりになったとしたらそれはま たいつかふたりになるためのひとり......」というように。
人生を二色にわけるとしたら、一人でいるか二人でいるか、すなわち恋愛をしている時間かそうでない時間の二色だ——そんなふうにもこの歌は読めるだろう。 希望は絶望を含み、絶望は希望へと繋がり、幸福は不幸を含み、不幸は 幸福へと繋がる。
人生において対立するかのように見えるものは、実は同 じことの表と裏なのだ——そんなふうに捉えることもできる。
小学生にもわかるようなやさしい言葉だけで書かれた歌だが、読む人の人生経験や心の状態に応じて、無限に悲しくも嬉しくも響く一首だ。
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