池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。
「クリアリング・ア・スペース」
・6つのステップはどんなものか、というのがここに出ているが、ここでジェンドリンの「体験過程理論」で扱っているのは2番目の「フェルトセンス」以降。そこに、「言葉にならない体験」を「フェルトセンス」として、それを表現する言葉を「ハンドル表現」として、一体それは何を伝えているんだろう、何を必要としているんだろう、この感じには何があるだろう、とかそういうことを考えていく、というサイクルがある。これがフォーカシングの中心部分。
・ジェンドリンはどこからか「クリアリング・ア・スペース」という一番目のステップを持ってきた。これは非常に不思議。不思議というのは、本を書く前に論文で発表していることが一般的(そして2から先の「体験過程」のプロセスはたくさん論文がある)。「クリアリング・ア・スペース」については何の論文もなく、いきなり本に登場する。
・しかも、読んでいると、(これは)かなりこなれているやり方。
・ここはフォーカシングの本体部分と異色であって、たとえばフォーカシング指導者のアン・ワイザー・コーネルは、1番目は削除して、本体部分とあまりに違うから、ということでやらない。
・これは一体何かというと、セッションを始める前に、今自分はどんなことが気になっているのか、今どんなことを感じているのか、たとえば、面接に来たクライエントが、話したい話題があって来ているが、来る途中で電車に遅れたことでドキドキしている、そして1日のスケジュールが狂ったことにイライラしている、そういう気持ちを持って来てしまっているので、ちょっとイライラを横に置いといて、その他にどんな気持ちがあるのか、一旦、前に並べて、それらからちょっと距離を置いて、そこから一つ気がかりを選んで進んでいきましょう、とこういうようなステップ。
・おそらくこれは現象学の「エポケー」みたいな意味があるんだろうと思うが、しかし、理論の説明はなく「クリアリング・ア・スペース」が紹介されている。
・日本にこれが入って来たときに、ここが一番、日本人には分かりやすかった部分がある。
※エポケー…エポケーは現象学の用語で、判断中止の意味。事実についての判断を差し控え、事実をあるがままに受け入れることをいう。フッサールは(ママ)世界がそれ自体で実在するという日常的な自然的態度を反省し、世界の実在についての判断を括弧に入れて停止し、自我の純粋な意識の領域を取り出す方法論。
古代の懐疑主義者ピュロンは、ものごとを見あやまる誤謬の根源は「・・・である」と断定してしまう判断(エポケー)にあり、人間の心の動揺もそこから生まれてくると考えた。誤謬を避けて心の平静を保つためには、何ごとについても判断をさしひかえなければならない。ピュロンは「いかに生きるべきか」という意味合いが強かったが、フッサールはここから着想を得た。
フッサールはピュロンの懐疑論を借りて現象学的考察の基本方法においた。日常生活において自明なことのように思われている事実も誤謬が生まれるかもしれない。フッサールは、世界とその中にある存在者は、自分の経験にかかわりなく、それ自体で存在しているということでさえ、あえて反省の目を向け、エポケー(判断中止)することから、その思索を始めた。
フッサールは、事実を無批判に断定してしまう態度を自然的態度とよぶ。日常生活において暗黙のうちに前提されているこの態度を主題化し、哲学的な反省を加えるためには、自然的態度をいったん留保して、そこから距離をとらねばならない。このような意図のために方法上の手続きとして現象学的エポケーを用いた。 (Hitopediahttps://hitopedia.net › 人文科学)
・それでまだフォーカシングの本も訳されていない頃、1980年、1981年ぐらいに僕はシカゴから日本に帰ってきて、九州大学でフォーカシングをやっている人たちがいるというので、そこのグループに行ってみた。(それは)まるで坐禅会みたいだった。
・それは「クリアリング・ア・スペース」をしていて、ひとつずつ気がかりを丁寧に感じて、あ、これが気になっている、どんな感じかなあと感じて、置いていく。ちょっと置いておくとしたら、どこがいいかなあとイメージして置いていく。それをしばらく続けて、そして(それは)この本のマニュアルの読み間違いだが、「置いた後のその体験は、どんな感じか」みたいなことを感じている。そうすると、とてもなんかスッキリした感じがあってとか、それをずっと感じているというようなことをしていた。
・僕の方のマニュアルは、1と2の間に、わざと「気がかりを選ぶ」というのを入れている。そうでないと、そういう間違いが起こって、まるで瞑想みたいに、気がかりが何もない、そのスペースにフォーカシングしている、みたいなことになってしまう。
・本当はそうじゃなくて、いろいろ置いたものから一つ選んで、それを感じてみるんですよ、ということをいうためにこれを入れた。これは『心のメッセージを聴く』という本。事前に来ていた質問の中でフォーカシングを学ぶとしたら、どの本がいいですか?というのがあって、講談社現代新書のこの本が一番いい。1995年と古いんですが。阪神大震災の最中に校正していた本。ちょっと古い感じはあるけど、読みやすいかなと思います。
・「クリアリング・ア・スペース」を日本では、アメリカでやっているより随分丁寧にやっているな、自分も丁寧にやるようになったなと。九州大学は面白いところで、ロジャースの研究をされている村山正治先生がおられて、ジェンドリンとかフォーカシングとか、僕もずいぶんお世話になりました。同じフロアに研究室二つ三つ向こうに精神分析の前田重治先生、催眠イメージの成瀬悟策先生がいらっしゃって、面白いことには、九大の院生の人たちはそこをいろいろ出入りしていた。いろんな先生からいろんなものを吸収している。だから、成瀬先生の研究室でイメージセラピーをやっている人たちが、フォーカシングとかに興味を持つ。カウンセリングよりフォーカシングの方が彼らとしては、やりやすい。
・この「クリアリング・ア・スペース」はとてもイメージ的で面白いから、そこの中で独自の展開をしていっている。たとえば、田嶌誠一先生の「壺イメージ療法」。増井武士先生の『こころの整理学』も。「クリアリング・ア・スペース」を参考に、「イメージセラピー」のようにしていく。
※村山正治…(むらやま しょうじ、1934年 - )は、日本の臨床心理学者。臨床心理士。教育学博士。九州大学名誉教授。東京都生まれ。専門は、パーソンセンタードアプローチの理論と実践(エンカウンターグループ・フォーカシング)、スクールカウンセラー事業の発展と評価研究。(Wikipediaより)
※前田重治…(まえだ しげはる、1928年 - )は、日本の医学者、精神科医。九州大学名誉教授。専攻は精神分析学・カウンセリング。(Wikipediaより)
※催眠イメージ療法…催眠療法(ヒプノセラピー)とは、セラピストによってトランス状態(催眠状態)にまで誘導し、その深さのレベルに応じた治療的な暗示をかけて、悩みや症状の改善を行うもの。トランス状態は、眠っているのではなく、一つのことに意識を集中して、何かに没頭しているような状態と似ている。トランス状態では、予め用意していた「好ましい暗示」を、潜在意識の中に直接、書き込む。もしこれが「悪い暗示」であれば、直ぐに催眠から覚めてしまいますから、セラピストの思いのままになることはない。
イメージ療法は、催眠慮法との明確な区別はない。潜在意識にあるイメージに直接アクセスして、その中を読みだしたり書き換えたりする点で同じ。「何故、どうして?」
と聞かれても、自分ですらよく分からないことを潜在意識の中で探っていき、その答えを見つける。自分が意識できないことでも知ることが出来、心の悩みや症状の改善効果は絶大。(一般社団法人 日本カウンセリング学院HPの記述より)
※成瀬悟策…(なるせ ごさく、1924年 - 2019年)は、日本の臨床心理学者・臨床心理士。医学博士。九州大学名誉教授、元吉備国際大学教授。日本リハビリテイション心理学会名誉理事長、日本臨床動作学会名誉会長。第二次大戦後における日本の心理系催眠の第一人者。竹山恒寿、池見酉次郎らと「日本催眠医学心理学会」を立ち上げ、学術面からの催眠研究に尽力した。前田重治、蔵内宏和ら精神分析を専攻する精神科医にも催眠を教授し、多くの優秀な弟子を輩出し、鶴光代、宮田敬一、田嶌誠一、田中新正、針塚進、門前進ら数多くを大学教授に育て、日本に科学的催眠研究の礎を築いた。他にも成瀬に催眠を学んだ臨床家は数多く、河野良和、柴田出、栗山一八らがいる。
動作法というアプローチで肢体不自由が改善するだけでなく、精神疾患が改善し、健常者の表情やしぐさ、対人的態度まで変わることに注目し、「体験治療論」を提唱。(Wikipediaより)
※壺イメージ療法…心のことが入っている“壺”を複数イメージし、その壺の中に入って、そこで感じる身体的・心理的感覚を体験してみたり、壺自体の落ち着く仕舞方を工夫するなど、イメージ内容によってその後の展開は様々である。壺はイメージの展開をある程度コントロールするとされ(イメージの安全弁)、他のイメージ技法より比較的マイルドであるといわれている。 ただし、田嶌自身“安全弁は暴露弁”と指摘するように、同技法の適用は他法と同じように慎重を有する。(Wikipediaより)
※田嶌誠一…(たじま せいいち、1951年 - )は、日本の臨床心理学者。九州大学大学院人間環境学研究院教授。博士(教育心理学、九州大学: 学位請求論文「壺イメージ法の考案とその展開に関する臨床心理学的研究」)。(財)日本臨床心理士資格認定協会認定臨床心理士。(Wikipediaより)
※増井武士…(ますい たけし、1945年- )は、日本の精神療法家。専門は精神療法学、治療面接学、メンタルヘルス論及びメンタルヘルスマネージメント。(Wikipediaより)
※『こころの整理学―自分でできる心の手当て 』増井武士著(2007)…悩みを抱えているとき、「なぜ?」とあれこれ詮索したり、自分を責めたりしないでください。心の整理学を楽しみながら実践してください。いつのまにか悩みが解消しています。本書は、イライラした感情をうまく収める実にユニークで優れた方法を詳しく紹介します。(星和書店の紹介文)
九州大学の田嶌誠一先生。何か覚えがあって。子どもが不登校になり、悩んであちらこちらのシンポジウムに参加していた頃に出会った先生でした。
不登校の子どもに関わっていらっしゃって、そのご経験から「不登校の原因追求は意味がない。すでに学校に行けなくなった段階で、そもそもの原因云々より、人が怖くなったりしている状況から、どんなサポートが必要か、を考える方がよい」というようなお話に納得するものがあった。
それでその場で『現実に介入しつつ心に関わる 多面的援助アプローチと臨床の知恵』(金剛出版 2009)という本を買い求めた記憶がある。
「壺イメージ療法」の話は知らなかった。
・増井先生と僕は本も一緒に出している(『治療的面接の工夫と手順: 人間学的力動論の観点から』)。
・(その中で増井先生は)非常に面白いことを言っていて、職場で嫌なことがあって、でもその嫌な感じを職場に置いて帰ることができると、人は悩まないんだ、と。
・「悩む」というのは、嫌なことを持って帰ってしまう(から)。そうすると晩御飯を食べていても思い出して美味しくないとか、眠ろうとしても眠れないとか。そういう状態を「悩む」というんだ、と。
・だから、悩みの内容はどうでもよくて、持って帰るか持って帰らないか、つまり、ある種のスペースが置けているか、間に空間とか距離があるかないか、そこがポイント。だから、間がおけるとか、ある種のスペースが作れるようであれば、悩みなんてない、という、そういう発想。
・立命館大学の徳田完二先生も、増井先生の方法に倣って、「収納イメージ法」を学生相談で展開されていて、この「クリアリング・ア・スペース」の部分が凄く発展した。
※『治療的面接の工夫と手順: 人間学的力動論の観点から』(2020)…心理臨床の実践をめぐる対談集。精神療法とフォーカシングで著名な二人の専門家が、自身の臨床をめぐって対談。技法や知識の習得ばかりを重視する心理臨床の世界に疑問を投げかけ、「一人の人間」として患者に向き合うことの重要性を縦横無尽に語り合う。
「『真っすぐに治る』ということはあり得ない」「教師とか一般の人と違って、僕たちには『何でもあり』で善悪はないんです」「知っていることは全部いったん空(から)にして、その空の中で聞いていると、どうしてかわらないけれど、こちら側に響いてくるものがある」など、長い臨床経験と専門性に裏打ちされた言葉の数々は、心理職に携わっている者、これから心理職を志す者に深い示唆を与えてくれる。(Amazonの紹介文)
※徳田完二…(とくだかんじ・1954年〜)心理学者、立命館大学教授。2001年「収納イメージ法におけるクライエントの体験とカウンセラー-クライエント関係に関する臨床的研究」で教育学博士 (京都大学) 。2005年立命館大学大学院応用人間科学研究科教授。
※『収納イメージ法』徳田完二著( 2009)…収納イメージ法とは心理的問題にまつわるクライエントの不安や気がかりな「感じ」を、心の中に「おさめる」イメージを用いて軽減する心理療法の一つ。これは臨床家の増井武士が創案したもので、著者は長年の臨床経験の中での実践からこの手法を「収納イメージ法」と名付け、その概要や特徴、有用性や事例をまとめた。心におさめる過程でクライエントとカウンセラーに起こる“動き”を細やかに記す。増井武士による序文。(Amazonの紹介文)
「クリアリング・ア・スペース」。こんなに広がりを持つものだとは知らなかった。心に浮かぶあれこれを「解決」する方向に向かうのではなく、それぞれに対して自分の心が鎮まる「置き場所」を求め、今一番の「気がかり」が何かを探る。
その過程で、もしかすると全ての「気がかり」の置き場所が見つかり、これで心が安らげば、それはそれでOK。
もし、最後まで収まりきらない「気がかり」があれば、それにフォーカスする。
「置き場所」としてイメージするのはどういう場所か、その「もの」「こと」の「置き場所」はどこが相応しいか、そういった「置き場所」のバリエーションの広がりが、イメージ療法につながっていくような気がする。
そういえば。6年半前、自分でカウンセリングルームを開設したとき、来訪者にアロマオイルを提供することを始めた。
脳に直接働きかけるのはお酒と香り、と聞いたことがあって、それで、気持ちの落ち込みを少しでも変える手段として、アロマオイルを考えたのだ。
学んだのはメディカルアロマ。合成ではない、ちゃんとした精油は高額だが、きちんとした効能が大学論文ででも実証されている。
目覚ましく効果があったのは、パニック障害のクライエントさん。
電車に乗れないというので、好きなアロマの香りをつけて、「ドーム型でも卵型でも。自分の周囲にバリアを張ってみましょうか」と提案した。
そうすると、そのドームの中に守られている気分になったそうで、「電車に乗れました!」と報告してくれた人がいた。
…それも一種の「イメージ療法」だったのか、と、今ふと思えて。
さて、続きはようやく「エイジアン・フォーカシング」。
画像は、今週水曜に作ったフラワーアレンジメント。「ホリゾンタル・クレッセント」と呼ばれる形のテーブルフラワー。
高さはそんなに出さないで、三日月形に左右に広がりを持たせるもの。
「クリアリング・ア・スペース」を考えたときに、この形の、部分部分で厚みが違いながら広がっていく、というのが、何か象徴的な気がする。