「わたしを束ねないで」
新川和江
わたしを束(たば)ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂
わたしを止(と)めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
(詩集『比喩でなく』・地球社・1968年刊)
この詩を知ったのはいつのことだったんだろう…。
確か、まだ大学生だった気がします。
こんな詩が存在すること自体が嬉しくて、味わうように、ノートに書き写した記憶があります。
その頃の私は、まだまだ両親から沢山の制限をかけられて(〜してはダメ、〜しなければいけない)、息苦しくて仕方がなかった毎日でした。
束ねたり、止めたり、注いだりされることなく、もっともっと豊かに大きくなっていっていいんだ、名付けたり、区切ったりされることなく、もっともっと自由に自分の可能性を信じていっていいんだと、勇気をもらったのでした。
私は何のために生まれてきたんだろう…?
両親の介護のために生まれてきたんだろうか…?
なんて思うことが多くて、なぜ自分の足で、自分の思うように生きてはいけないのか、わかりませんでした。
なぜ幾つになっても、制限を受けなければならないのか、全く理解できませんでした。
自分のやりたいことをやろうとすると、「親不孝者」と言われる。
どうしてなのか、全く理解できませんでした。どうして自分の人生の選択権が自分にないのか、全く理解できませんでした。
経済的自立は私にとって必須でした。
やりたいことをやらせてもらえないなら、自分で叶えよう、そのためには自分で自分を養おう。
だから、誰かに養ってもらうなどと考えたこともありませんでした。
経済的に自立しないことはまた、両親が私にしたように、制限を受ける立場になること。
結婚して養ってもらうなど、そんな危険な賭けは恐ろしくてできませんでした。
誰かに自分を委ねることがどうしてもできないのは、そうやって自分で自分の道を切り拓いてきたからだと思います。
少し、頑なさを自分に感じたりもしますが、ある意味仕方がなかったかなあとも思います。
今、この詩を読み返してみて、これからの私はもっともっと伸びやかであっていい、と思えました。
大地を覆う金色(こんじき)の稲穂のように、終わりのない文章のように、愛情を持って世界を包み込むことができるように、両方の腕があるんだ、と思えました。
カウンセリングをしていると、クライエントさんの背中をさすってあげたくなったり、肩を抱きかかえてあげたくなったりします。
私は自分の気持ちに正直に「今、あなたの背中をさすってあげたくなっているのですが、そうしてもいいですか?」と聞きます。
クライエントさんの許可をもらってそうするのですが、私も私の腕や掌があって良かったなあと感じます。
そのうち、クライエントさん自身で自分を抱きかかえてあげられるように、という願いを込めてそうします。
カウンセリングルーム 沙羅Sara
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