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のびやかに生きる〜新川和江の詩「わたしを束ねないで」〜

2017/03/02
のびやかに生きる〜新川和江の詩「わたしを束ねないで」〜
昨日は3月1日、全国の高等学校の卒業式でした。
私にとって、教員を辞めても3月1日はやはり特別な日で、
卒業していく人たちに思いを馳せてしまいます。
10年前のこの日、2年間担任をしたのに3年目にクラス減となったあおりを受けて転勤となり、後ろ髪を引かれる思いで残した3年生を送りたくて、でも転勤先の高校でも3月1日は卒業式なので、その前日の予行の日に年休を取って広島県立湯来南高校に出かけ、密かに音楽担当の教員と練習した、
今井美樹の「Piece of my  wish(希望のかけら)」を歌った記憶があります。…もう10年経つのですね。

巣立っていく人たちに送りたい詩は、新川和江の「わたしを束ねないで」です。「読書への誘い」の第35号で紹介しました。

  「わたしを束ねないで」        

                新川和江

 わたしを束(たば)ねないで

 あらせいとうの花のように

 白い葱のように

 束ねないでください わたしは稲穂

 秋 大地が胸を焦がす

 見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂

 

 わたしを止(と)めないで

 標本箱の昆虫のように

 高原からきた絵葉書のように

 止めないでください わたしは羽撃(はばた)き

 こやみなく空のひろさをかいさぐっている

 目には見えないつばさの音

 

 わたしを注(つ)がないで

 日常性に薄められた牛乳のように

 ぬるい酒のように

 注がないでください わたしは海

 夜 とほうもなく満ちてくる

 苦い潮(うしお) ふちのない水

 

 わたしを名付けないで

 娘という名 妻という名

 重々しい母という名でしつらえた座に

 座りきりにさせないでください わたしは風

 りんごの木と

 泉のありかを知っている風

 

 わたしを区切らないで

 ,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落

 そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには

 こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章

 川と同じに

 はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

     (詩集『比喩でなく』・地球社・1968年刊)

 

この詩を知ったのはいつのことだったんだろう…。

確か、まだ大学生だった気がします。

こんな詩が存在すること自体が嬉しくて、味わうように、ノートに書き写した記憶があります。

その頃の私は、まだまだ両親から沢山の制限をかけられて(〜してはダメ、〜しなければいけない)、息苦しくて仕方がなかった毎日でした。

 

束ねたり、止めたり、注いだりされることなく、もっともっと豊かに大きくなっていっていいんだ、名付けたり、区切ったりされることなく、もっともっと自由に自分の可能性を信じていっていいんだと、勇気をもらったのでした。

 

私は何のために生まれてきたんだろう…? 

両親の介護のために生まれてきたんだろうか…? 

なんて思うことが多くて、なぜ自分の足で、自分の思うように生きてはいけないのか、わかりませんでした。

なぜ幾つになっても、制限を受けなければならないのか、全く理解できませんでした。

自分のやりたいことをやろうとすると、「親不孝者」と言われる。

どうしてなのか、全く理解できませんでした。どうして自分の人生の選択権が自分にないのか、全く理解できませんでした。

 

経済的自立は私にとって必須でした。

やりたいことをやらせてもらえないなら、自分で叶えよう、そのためには自分で自分を養おう。

だから、誰かに養ってもらうなどと考えたこともありませんでした。

経済的に自立しないことはまた、両親が私にしたように、制限を受ける立場になること。

結婚して養ってもらうなど、そんな危険な賭けは恐ろしくてできませんでした。

 

誰かに自分を委ねることがどうしてもできないのは、そうやって自分で自分の道を切り拓いてきたからだと思います。

少し、頑なさを自分に感じたりもしますが、ある意味仕方がなかったかなあとも思います。

 

今、この詩を読み返してみて、これからの私はもっともっと伸びやかであっていい、と思えました。

大地を覆う金色(こんじき)の稲穂のように、終わりのない文章のように、愛情を持って世界を包み込むことができるように、両方の腕があるんだ、と思えました。

 

カウンセリングをしていると、クライエントさんの背中をさすってあげたくなったり、肩を抱きかかえてあげたくなったりします。

私は自分の気持ちに正直に「今、あなたの背中をさすってあげたくなっているのですが、そうしてもいいですか?」と聞きます。

クライエントさんの許可をもらってそうするのですが、私も私の腕や掌があって良かったなあと感じます。

そのうち、クライエントさん自身で自分を抱きかかえてあげられるように、という願いを込めてそうします。


「川と同じにはてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩」で終わるのは、やはり新川和江が詩人だからでしょう。
「終わりのない文章」=「一行の詩」であるという定義は、一行の詩で立っていこうとする詩人の覚悟を感じます。
…憧れを感じます。

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