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  1. コラム
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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
詩の世界
2017/10/14
職場のいじめに立ち向かう〜長谷川康夫の詩「ちがう人間ですよ」〜  
今朝は、ちょっと え?!  と思うようなキビシイ詩を。
なんだか、人間関係に一線引かれているような感じもするものです。
「読書への誘い」第58号で紹介しています。
続き
絵本の世界
2017/10/12
立場を逆にしてみたら…〜『ゆうたはともだち』(ゆうたくんちのいばりいぬ1)きたやまようこ作〜  
今回は、ちょっとこれは子ども向けじゃないなあと思える絵本を。
「ゆうたくんちのいばりいぬ」シリーズ3冊のうちの最初のものです。
奥付を見ると1988年初版発行となっています。
…これは、奈良県立平城高校に勤めていた頃に買ったものですね。
多分、「国語表現」の授業で絵本制作させた時に、いろんな絵本を紹介するのに使ったような気がします。

表紙は、お目々がブルーの、シベリアンハスキーかな? と思わせる犬が、こちらをにらんでいます。
ちょっと、おっかなそう。

まず、ページを繰ると、出だしがこんなふうです。


「おれ いぬ。」
おお〜。…まあ、そうですね。そして、やっぱりにらんでいるとしか思えない。続いて、


「おまえ にんげん。」
おまえ、ですか。「ご主人」ではなく。
こんなふうに、「おれ」と「おまえ」の対比でしばらく進みます。

「おまえ わらう。/ おれ しっぽ ふる。」
「おまえ てで かく。/ おれ あしで かく。」
「おまえ なでる。/ おれ なめる。」
「おまえ たたく。/おれ かむ。」

そして、

「おまえ すぐ なく。/ おれ がまんする。」
と、ちょっと「おれ」のエラさが示されて。
(おしっこするとき)「おれ あし あげる/ おまえ あげない。」


「おまえ なんでも すぐに きく。/ おれ じぶんで かんがえる。」
と、またもや「おれ」の方がエライみたいで。
でもね、こんな面もあるんだよ。
「おまえ ほんが すき。/ おれ ほねが すき。」


「おれと おまえ ぜんぜんちがう。
   だけど すき。
   だから ともだち。」

…全くもって、「おれ」の名前も「おまえ」の名前も出てきませんでした。
タイトルから子どもの名前は「ゆうた」ってわかるけど。
「おれ」の名前は? …なんだか、聞いたら「おれはおれだ」と叱られそうな勢いですね。
さすがは「いばりいぬ」。…なんか、立場が逆転しているような気もするけど。

昔、大阪教育大学教授で、幼児言語を研究されていた早川勝廣先生の月1回の教材研究の会にこの本を持っていったら、「だけど」という逆接に引っ掛かりを感じられたようでした。

「全然違う、だけど、って言うからいかんのやなあ。全然違う、だから、って言わんと。」

「だけど」だったら、違うことが好きになれない前提になっていることになる、というご指摘だったのです。
「だから」だと、違うことがあたりまえで、違うからこそ好きになる、そういう風通しの良さが日本社会には必要ではないのか、ということなのでした。
当時、長く差別問題に取り組まれていらっしゃったからこその視点だなと思い、それで今も記憶しているんだと思います。

久しぶりにこの絵本を開いて、そんな遠い記憶が蘇ってきました。

追記:全3冊と思っていたら、全11巻のシリーズでした。…知らなかった…そんなに増えてたのね。
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詩の世界
2017/10/11
「好き!」という気持ちがなせるワザ〜入沢康夫の詩「未確認飛行物体」〜  

今日は、タイトルからイメージした詩の内容がかなり違っていて、ん? と思う詩を。

入沢康夫の「未確認飛行物体」という詩です。

「読書への誘い」第57号で紹介しました。

続き
絵本の世界
2017/10/05
自分にできる精一杯で大丈夫〜『どんなにきみがすきだか あててごらん』  
サム・マクブラットニイ:文、アニタ・ジェラーム:絵の1994年の作品です。
日本語訳は評論社から1995年に。
私は…いつ買ったのだろう? あ、裏表紙に「1997年X’masに Kちゃんへ♡」とありました。



チビウサギとデカウサギのお話。

でも、親子ってわけでもないみたい。

 

 ‘ちいさなちゃいろいノウサギは、おやすみのじかん。

おおきなちゃいろいノウサギのながいみみにつかまって、ベッドへいくところ。’

 

 ‘ちいさなウサギは、おおきなウサギに きいてみたくなった。

「どんなに、きみがすきだか あててごらん」

「そんなこと、わからないよ」と、デカウサギ。’


 

「こんなにさ」

チビウサギは、うでをおもいきりのばした。









デカウサギのうでは、もっと

ずっとながかった。

「でも、ぼくは、こーんなにだよ。」

 

なるほど、それは、うんとだ。

チビウサギは、かんがえた。




こんなふうに、チビウサギは自分の身体を使って、「どんなにきみがすきだか」を一生懸命表現しようとします。

でも、そのたびに、デカウサギの身体の方が大きいから、言い負かされてしまうのです。

 

身体で表現することに限界を感じたチビウサギは、距離で表現しようとします。

「きみのこと、このみちをずっといって、かわにとどくぐらい すきだよ」と叫ぶ。

なのに…

「ぼくは、きみのこと、かわをわたって、おかをこえたぐらい、すきだよ」な〜んて、あっさり返されてしまう。

 

もうねむくて、なんにもおもいつかないチビウサギは、

「ぼく、おつきさまにとどくぐらい きみがすき」と言うと、眠ってしまいます。

 

‘「それは、とおくだ」と、デカウサギ。

「それは、とてもとても、とおくだ」

 デカウサギは、チビウサギを木の葉のベッドに、そっとねかせると、かがんでおやすみなさいのキスをした。

 それから、チビウサギのそばによこになり、ほほえみながらささやいた。

「ぼくは、きみのこと、おつきさままでいってーーーかえってくるぐらい、すきだよ」’ 

 




他愛もない、と言ってしまえばそうなんですが。

私はいつの頃からか、現代文の授業開きは『百万回生きたねこ』で、授業の最後はこの『どんなにきみがすきだか あててごらん』で閉じていました。

チビウサギは、いつもいつもデカウサギにかなわないのですが、でも、それでもいいよね、その時にできる精一杯で、というような話をしたような。

でも本当は、そんな「理屈」より、単に「好きだよ」の連発が、なんだか心地良かったような。

 

子どもにもそんなふうに「だあい好き!」と言いたかっただけだったように、1年間を過ごしてきた生徒たちにも単に「あなた方が大好きよ」と言っておしまいにしたかった、ような気がする。

いろんな生徒がいたけど、もちろん、相性の合う合わないもあったでしょうけれど、1年間、いろんな文章を書かせてきて、ひとりひとりの個性がよくわかって、書くことが得意な人も不得意な人も、それぞれに1年間の成長が見られて、いとおしい気持ちになりました。

…そんなことを、この絵本を読み返して思い出しました。

続き
川崎洋の詩
2017/10/03
ないものねだりをしてみても…〜川崎洋の詩「鉛の塀」〜  

10月になりました。

朝夕が随分涼しくなりましたね。

特に朝は、何か上に羽織らないと肌寒いぐらいです。

…というのは、杏樹(アンジー)の朝の散歩で、6時半頃、ご近所を歩いているので。

 

今日は、川崎洋の「鉛の塀」という詩を取り上げようと思います。

「読書への誘い」の第56号で紹介したものです。

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