休憩を挟んで、次は岡田さんのファシリで。
ワークを受ける私だけが、岡田さんの部屋に移動するのか、と思っていたら、グループごと全員移動で。
…それは、そうか、と思い直す。
そういう風でないと、二人のファシリによる展開の違いを、グループメンバーも確認できないもの、ね。
なにか…先に守谷さんのワークを受けたときの残像が残っていて。
守谷さんにした説明と同じものを岡田さんにもする。
父が亡くなって、その死に目に会えなくて、亡くなって3ヶ月ぐらいして身体の不調が始まって。
仕事にも行けなくなって、でも、カウンセリングを受けて、3ヶ月ほどで、とりあえず落ち着いて。
その3ヶ月後にゲシュタルトのプレトレを受け出して、それから、2,3ヶ月経った頃に見た夢。
父が亡くなって、1年ぐらい経っていた。
現在形で、夢の描写をする。
薄暗い部屋…どうも和室のようなところに、仏壇があるのに気づく。
あ、家の仏壇、と私は思う。
父が亡くなって、新たに購入した仏壇。
両方にオレンジ色の光。それは、仏壇上部から垂れ下がっているぼんぼり。
仏壇の中に父の位牌もある。
どういうわけか、仏壇のスライド式の板の上に、仏壇に背中を向けるようにして、私は座っている。
そして、どういうわけか、そのスライド式の板は、便座になっていて。
私は、用を足そうとする。
すると、あろうことか、便器の中に、アンジーがいることに気づき、びっくりする。
そして、あろうことか、アンジーは既に汚物にまみれていて。
アンジーは、情けなさそうに私を見上げている。
私は急いでアンジーを抱き上げ、両手に持つ。
そして…私は、先にアンジーを綺麗にしてあげるべきか、先に用を足すべきか、に悩んでいる。
「あ、家の仏壇、と私は思う。」ところに、まず岡田さんは触れられて。
「仏壇で、家の、と思われた、ということは、部屋は、家ではなかったのですか?」
そう問われて、…そうそう、余り、見覚えのない部屋だった、と思い出す。
家の仏間だったら、床の間があり、違い棚があり、するものね。
そういったものが何もない和室。
それから、岡田さんは、アンジーに掛かっていた汚物は、私の排泄物だったかどうかを尋ねる。
…ワークが終わった後で、「聞かないといけないものだったのか」という質問が出たけど、岡田さんの問いかけは大事なものだった!
岡田さんのその問いで、私は、私がしでかしたこと、でない、ことを意識する。
そう。私のしでかしたこと、でないことの後始末を私に押しつけられている、感じ。
…そして、後のその質問によって、私には「汚物」が何を意味するか、が分かった。
…父が亡くなった後、クリーニング工場に貸していた土地・建物の、建物を母が相続したことをきっかけに、父がほったらかしにして、無期限の契約になっているのを、なんとか解消しようとして調停を始め、その過程で、土壌汚染が発覚した。その汚染度が甚大で。
さらに、賃貸人であるクリーニング会社の経営が傾いていて、5億の負債を抱えて「民事再生」状態であることも、発覚する。
汚染が判明してから、調停に、「民事再生」の弁護士も同席しだしたので。
改善や、慰謝料を請求しようにも、お金の出所がない。
平成14年に成立した「土壌汚染対策法」では、使用者が土壌汚染の回復責任が取れない場合、所有者に、その責を負わせる。
そんな「とんでもないこと」を回避するためには、まだ会社が倒産していない状態で、売却するしかない。
売却するにも、その不動産の「相場の金額」を払えないクリーニング会社は、分割払いを言ってきた。
不動産の売買に、分割払いなんて! そして、そんな、いつ倒産するかわからない会社の分割払いなんて!
もう捨て値でいいから、と手放す決心を母にしてもらって、全てが解決したのが、昨年8月。…3年半掛かった。
岡田さんは、もうひとつ、私に聞いていて。
それは、「用を足そう」としているのは、どちらの方か? と。
これも後から考えたら、大事な問いだった。
私は「小」を思ってて。
「汚物」がそういった現実の大きな問題を反映したものであるなら、私の排泄物は、それほどの「大きな問題」でない、と私が思っている、ことを示している、ような。
「先にアンジーを綺麗にしてあげるべきか、先に用を足すべきか」という私の戸惑いのところから、入って行かれて。
「緊急事態、ですよね」との声掛けに、「緊急事態…緊急事態…」と私はその言葉を自分の内(なか)に響かせる。
父の癌の再発が告げられて。父は「もう(治療は)、いい」と言って。そうすると、大学病院を退院して、緩和ケアの医師を探さないといけない。
多分、岡田さんは、その時の、2014年1月末の主治医とのやり取り、父の抗癌剤拒否、の時のことを言われた、んだけど。
私の「緊急事態」は、そこではなくて。
医師に余命半年を聞いて、訪問看護の緩和ケアの医師を探し、それから、大慌てで、1ヶ月半後からの介護休暇を取る算段に動いて、そして、休暇を取って帰ってきた3月15日、玄関先に出迎えてくれた父の、1ヶ月半経って、ひどく変わり果てた父の、「死臭」を感じたこと、が「緊急事態」で。
岡田さんに「お父さんにそれを伝えてみて」と言われたけど、私には、とてもそれはできなかった。
2014年3月のその時も、私は「大丈夫か? 私。」と自分に言ったけど、…全然、大丈夫じゃなかった。
私は…父が死にゆくのを間近で見ることが、限りなく怖ろしかった。
時間が…いろんな時間が交錯する。
父のセラピー・ドッグに、と買い求めたアンジー。けれど、父はアンジーに触れることもなかった。
セラピー・ドッグを必要としていたのは、私だったかもしれない…とか。
いろんな思いが溢れ出る。
「お父さん。『お母さんを頼む』って遺言状にあって、それで、私、仕事やめて帰ってきたけど、大変だったんだよ」
そんな「文句」を、父に並べ立て。
遠慮なく言いたいこと言って、スッキリして。ワークは終了した。
先の、守谷さんのワークで、「便座=お父さんの膝の上」が余りに強烈で。
最初は守谷さんのワークの残像を意識していた。
それが切り替わったのが岡田さんの「緊急事態」という言葉から。
チラチラ頭の片隅で守谷さんを意識していたのが、その言葉から、グイッと岡田さんに引き寄せられた、感じ。
「緊急事態」と言われて、初めて、真正面から岡田さんを見据えた、気がする。
私はお二人のワークの違い、も感じたかったけど、「グロリアと三人のセラピスト」も意識していた。
…先のワークが、後のワークに、どう影響するのだろう?
私自身の感じでは、最初は影響を受けていたけど、途中から切り替わった、切り離された、感じ。
だけど、ワークに参加してくれた人からの指摘は、「先に守谷さんのワークで、お父さんとの信頼関係を取り戻し、その上で、岡田さんのワークでお父さんに言いたいことも言えるような展開になったのではないか」。
それを聞いて、そうかもしれない…ああ、そうだ。と思えた。
ベースに、やはり、先のワークでの影響はあるんだ…。
あたりまえのことかもしれないですが、それを実感できました。
そして、なんと豊かな時間だったことか!
私は、自分でモーニング・ワークを済ませて、それでもうお仕舞い、と思っていたのだけれど、共に…ファシリテーターも、グループのメンバーも一緒に、私の中の「未完了」を見ていただける豊かさ、ありがたさを感じます。
本当に、ありがとうございました。