「君の名は。」(タイトルに「。」がついています)よかったですね。私の子どもは3回観たと言ってましたが、私も2回観ました。
主人公の三葉と滝が出逢う時間が、昼と夜のはざま、「たそがれどき」なのですが(今は「たそがれ」を「黄昏」と表記します)、薄明かりの中で「誰そ彼(たれそかれ・誰なのですか?あの人は)」と問うたことが語源であると、映画の中の古典の授業で説明されていました。
その古典の授業で「かはたれどき(彼は誰時)」とも言うと説明されていましたが、実は昼と夜のはざまの時間帯は2回あるのですね。…そう、夜明け前と夕方です。
古来、民話などでは夜明け前の「かはたれどき」には、良いことが起きました。長年子どもができなかった夫婦に子どもが授かるとか。神さまらしき人から着物の袂(たもと)に白い輝く玉を滑り込ませてもらって、子どもができたというお話など。
逆に夕方の「たそがれどき」には、ちょっと恐いことが起こるのですね。英語では「トワイライトゾーン」。異次元の世界に紛れ込んだり、日本では「神隠し」にあって行方知れずになったり。…そうそう、芥川龍之介の「羅生門」も「たそがれどき」のお話でした。
多くの災害に見舞われた京の都で、暇を出された下人(使用人のこと)は、仕事と同時にすみかも失い、「飢え死にするか、盗人(ぬすびと)になるか」を悩むのですが、羅生門の2階(門といっても大きな2階建ての建物)で死人の髪を抜いてカツラを作って生き延びようとする老婆に出会い、老婆の着物をひき剥いて、盗人として生き延びることを選びます。「昼と夜のはざま」、つまり「善と悪の間」で悩んでいたのが、「夜」になり、闇の中で生きることを選択するのです。芥川は時間帯と下人の心理の変化をうまく重ね合わせて、作品世界を築きました。
「君の名は。」では夜明け前なのか夕方なのか、ちょっとわかりませんでしたが、まあ、この作品世界では、その辺りを厳密に区別してはいなかったように思います。彗星の接近、糸を結(ゆ)い結ぶこと、口噛み酒、これらが、時空を超えて滝と三葉の入れ替わりを可能にし、村人を救った要因とされていました。
三葉の学校での古典の授業で、「たそがれ」の語源の使用例として万葉集、巻10の2240番、作者不詳の歌が出されています。(「な〜そ」は「副詞の呼応」で「〜するな」という禁止を表します。)
「誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
(誰だあれはと、私のことを聞かないでください、九月の露に濡れながら 愛しいあなたを待っている私を)
未来から滝を呼び寄せたことに気づかず、東京にいる滝に会いに行き、「おまえ、誰?」と言われて、言葉を失った三葉の切ない気持ちと重なるように、伏線として描かれていました。