元々は、「コープ自然派」という無農薬・減農薬の食品を扱うコープの自主活動で、「チーム結う」さんたちの活動等の情報提供のグループLINE「結う+」。
そこで教えてもらった映画の上映会。
「カンタ!」とは、「歌え!」。
12月10日、初めて難波から「千日前線」に乗り、玉川駅で降り、会場の「merry &良心塾」という、よくわからない名称の場所を探す。
古い商店街の一角、一度通り過ぎて、でも「Googleマップ」が「通り過ぎてる!」というので、また戻り。
あ、ここなんだ!と見つける。
「良心塾」とは少年院出院者・刑務所出所者・愛着障害者等、生き辛さを抱えた人達を支援することで、犯罪・虐待・自殺等の社会問題を防ぎ、負の連鎖を断ち切り、誰もが安全・安心して暮らせる社会を創ります。
これは、塾長の黒川洋司さんからいただいた名刺にあった言葉。
子ども達を被害者にも加害者にもさせない
一人一人の命が輝いて生きる社会の実現を!
ともありました。
12月10日に観た時も、えも言われぬ感動に包まれたのでしたが、
ぼうっと観てしまい、後で、あ、歌を書き取ればよかった! と思った。
それで、もう一度上映会があるというので、再び出向いたのでした。
人は人を数えることはできても天の星を数えることはできない
そんな歌から始まり。
僕らは過ちを犯す
大地はそれを許す
その歌は初めて聞いたはずなのに、耳を離れなくなった、一人の若い日本女性が、その歌の意味を尋ねて、もう一度、東ティモールを訪れる。
2004年。独立2年目の東ティモール。歌を作り、歌っていたのはヘルデール・アレックス。
愛するティモール
ティモール 愛するティモール
ティモール 君はどうなってしまうのか
私の大地よ 君のことばかり想っている
さあ、男たち女たち
輪になってテベを踊ろう
マウバラの市場を歩いていたら
美しいマリアにばったり会った
どこに行くの?
エビを獲りに行くのさ
ディハの舟はまだ来ない
波が寄せては返すだけ
僕らは過ちを犯す
大地はそれを許す
人間は時々 小さな命たちの声
小さな声を…(書き取れなかった)
何が正しいかは人間じゃない
母なる大地が知っている
「僕らは過ちを犯す/大地はそれを許す」の歌は、独立運動の中で生まれた歌。
ティモール島は日本の南2,000km。
東半分がポルトガル領となって、「東ティモール」。
第2次世界大戦時は、日本が占領した。
第2次世界大戦後、インドネシアが独立。
けれど、インドネシアは東ティモールの独立を認めなかった。
なぜなら、東ティモールの海域に油田が見つかったから。
インドネシアの、東ティモールへの軍事侵攻を知り、ヨーロッパがインドネシアに支援しなくなっても、アメリカと日本は支援を続けた。
それを補うかのように、日本の支援額が大幅に引き上げられた。…なぜ?
東ティモールの悲鳴を聞かないことで、安い油田が手に入るから。
1996年。ゲリラ兵の闘いはインドネシア兵士の兵器を奪えば、それでOK。
自分たちが目標としていることをずっと語り、無傷のまま帰す。
自分たちの同胞を殺したインドネシア兵を、人間として扱って無傷のまま帰す。
それが、東ティモール独立のシンパとなった。
「従兄弟や甥、姪という言葉は我々にはない。
子どもは自分の母親の姉妹は皆「お母さん」と呼ぶ。
大人たちは皆、「私の子」と呼ぶ」
「あなたたちは狂ってる。
この島では、人が亡くなれば一人一人を葬る。
あなたたち(インドネシア兵)は、20人も30人も一緒くたにする」
帰ってきて 愛しい人よ
私が死んでしまったら 誰があなたを愛するでしょう
どこへ行くの
離れ離れになっても 帰るのはティモール
どこへ行くの
運命(さだめ)のままにどこまでも
神たちに祈るよ その身体がすこやかに
私たちの苦しみを受け止めて
正義はどこへ
神から授かった愛はどこへ
過ちが真実を覆い隠し
正義が すり替えられている
「本当の敵はインドネシアを陰で支える周辺諸国だった」
目をつむり…(不明)
この世の未来はどこにあるのだろう
たくさんの涙と…(不明)
どんな笑顔がある
ねえ君 こっちにきて 座っておくれ
こうなった理由を知りたいんだ
ねえ君 こっちにきて 座っておくれ
この世界に君と新しい道を探したいんだ
1998年。東ティモール独立を訴える学生運動。「ビバ、東ティモール(ティモールレステ)」
1999年。独立を問う「住民投票」が行われた。98.6%の投票率。78.6%の独立賛成。
だけど、インドネシア軍による最後の徹底攻撃があり、ティモールの民家の9割が焼け落ちた。
それでも!「報復はダメだ。耐えるんだ。私たちは平和をつくる」
「この島の人に戦争はいらない
ただ祖先の土地にいるだけだ
兵士は上官の命令で動いているだけだ。
上官は家族とくつろいでいるだけ」
そう言うと、兵士は撃とうとした。
「撃っても、何も変わらない」というとやめた。
(インタビュアー、レオナルド・ソレアスの言葉)
ジャングルに逃れてゲリラになった。
ゲリラ部隊には、地元の住民が食糧を運んでくれる。
でも、普段は水を飲むだけ
電気ショックの後、殴られる を4回
「軍は誤りだ」
「東ティモールは独立できなかったら、皆殺された。
それくらい(インドネシア)軍は残酷だった」
(元ゲリラ兵の言葉)
苦しみの中 光が見えなくても
戦争の暗い闇がこの世を覆っても
光がさす日が来る
雲が晴れる日が来る
神は人を愛しているから
「父さん、たとえ命を奪われても
俺たちは奴隷じゃない」(殺されたレジミオ・ティルヌの言葉)
シャナナ・グスマン。皆の希望の星。
だか、軍に捕えられる。でも、獄中で「闘いは続いている。希望を持て」と。
後に初代大統領となる。
「24年間のいつが一番苦しかったか、わからない。自分の精神を保つ闘いもあった。」
「重いのは涙なんだ。それが流れて、(書き取れませんでした)」
オーヘレレ オーヘレラ
この身(?)も魂も ティモール 大地の民 マウレベ
「テベは人々を団結させ、魂を強健にする」
ティモール 大地の民よ
男たち 女たちよ
日が昇る大地 ティモール・ロロサエよ
「テベを踏めば 大地が言う
大地が母だ」
仲間たち
ティモールに生きる兄弟よ
僕らの傷を 大地が癒していく
傷ついた大地を癒そう
僕らの大地だって癒せる
ここは僕らの国
怖がらなくていい
種が芽を出して空まで広げるように
僕らの大地は東ティモールになる
「(家族が目の前で殺されたことに対して)悲しいけれど、それは怒りじゃない」
涙がティモールの大地に落ちる
長い夜が明けて ついに自由が訪れる
離れ離れになった魂たち
もう苦しまないで
涙がティモールの大地に
長い夜が明けて ついに自由が訪れる
2002年5月20日。東ティモール独立。
映画に流れた歌を中心に書き連ねただけで。
なんというか、ティモールの人々の高い精神性に圧倒されて。
余計な言葉は必要ない、という気持ちになってしまった。
映画の上映会を来年初めにしたい、と思う。