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  1. コラム
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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
絵本の世界
2017/08/20
そこがあなたの生きていく場所〜『オーシャン ワールド』ピーター・シス作〜  
今朝は、どういういきさつで買ったのか、まるで思い出せないけど手元にある絵本を紹介します。
ピーター・シスという人の作品、『オーシャン ワールド』です。
1995年に第1刷がブックローン出版から出ています。
あ、子どもの生まれた年ですね。…じゃあ、いつか子どもに、と思って買ったんだろうか。
ほとんど言葉がない絵本です。

表紙絵からして、たくさんの鯨のコマ取りのような絵。
…なんとなく、クジラの話かなあと思ってページを繰ると…子ども用家庭簡易プールの中に小さなクジラがいて…、


それから、絵葉書の裏の言葉があって…


あ、これって、絵葉書の表裏だったんだ!と発見して。
どうやら、町の水族館に、生後2、3週間の小さい女の子のクジラが来ているようで。
この子は将来、海に帰されることがわかって。
ピーターは、ちょっと心配しているんだね。「ちゃんと、ともだちできるだろうか?」って。

で、小さいクジラの女の子は、どんどん大きくなり…






海に帰される日が来たのね。



いろんなものと出会い、…それは、お月さまとも、お日さまとも。
生きているものとも、生きてないものとも。
…そして、一頭のクジラと出会う。

ああ、なんとかやっていけそうだね、というところで終わります。

大海原は大きくなったクジラも小さく見えるほど広くて、でも、そこがあなたの生きていく場所、なんだね。
町の水族館は、小さなクジラを保護することはできても、生きる場所ではない。

そうそう。とうなづく私がいる一方で、ちょっと、淋しがっている私がいます。
…一週間居た子どもが明日、戻ります。

アロマオイル
2017/08/19
ナード・ジャパン インストラクターコースLesson2(2)〜植物から精油を取る方法〜  
昨日は久しぶりにナードジャパン認定校メディカアロマで、インストラクターコースの講義がありました。
講師の中田尚美先生は、アロマのことを楽しそうにお話しされます。
「先生は、本当にアロマのことがお好きなんですね。聞いていて、そう思います。」いつもそう思い、…そして昨日初めてそうお伝えしたのでした。
「とても素敵です」と。

学校の授業でもそうですよね。
多分、…何かよくわかんないけど、先生がとても楽しそうに話してくれてたら、なんだろな?と思って興味を持ちますよね。
新しい「もの」との出会いは、そんな風に「先達(せんだつ)」がいて、そんなにいいものなんだったら、ちょっと覗いてみようかなって気になって、時にはそこから自分でハマり込むことになったり…ということなんだと思う。
新しい「もの」そのものに感動するときもあるけど、そんな出会いはそうそうなくて、それよりはその「もの」を教えてくれる人がその「もの」がどんなに好きか、に感動するんだと思う。

私もね、特に詩の授業が好きだったのですが、それは私が詩が好きだったから、だと思います。
ああ、この詩、素敵!と思ったことを、どんな風に伝えようか、何をどの順で組み立てたら、その「素敵!」が伝わるだろうか、私の「素敵!」以外にどんな「素敵!」を生徒たちは発見したんだろうか? …と興味は尽きなかった記憶があります。

あ、話が横道に逸れました。
インストラクターコースのレッスン2の2回目は、「植物から精油を取る方法」。
アドバイザーコースででも、簡易的には説明されていたのですが、今回は詳細に。

まずは「水蒸気蒸留法」。アロマテラピーで使われる精油の多くがこの方法で採油され、ハーブウォーターもこの方法で得られます。その水蒸気蒸留法に中に、3方法があります。
① ウォーター・ディスティレーション…植物を沸騰水に直接触れさせた方法
② ウォーター・スチーム・ディスティレーション…蒸留釜にすのこ状の板を設置して植物を入れ、板の下に水を入れて加熱する方法
③ スチーム・ディスティレーション…蒸留釜に植物を入れ、そこにスチームを流し込む方法

ほとんど①の方法によるんだそうですが、加熱による成分の変性を起こさないのは②と③。
③は、ゆっくり蒸すことになるので、さらにいい方法なんですが、とにかく時間がかかって、1時間以上、場合によっては4、5時間を必要とするようです。

次に「圧搾法」。
主に柑橘類の果皮から精油を採取するのに使う方法で、柑橘類の果皮を加熱しないで潰したり傷つけたりして、油室にある精油を取り出します。
この方法で、重い芳香分子も採ることができます。
フランスやベルギーなどでは、この方法で採ったものを「エッセンス」と呼び、「エッセンシャルオイル」と区別することがあるそうです。

最後は「抽出法」。抽出材料によってさらにいくつかに分類されます。
(1)油脂吸収法(油脂吸着法)…精製して無臭にした牛脂、豚脂、オリーブ油などを用いて、花などを浸して芳香成分を吸着させる方法
    ① 温湿法(マセレーション/マセラシオン)…油脂を60〜70℃に加熱して花を浸す方法
    ② 冷湿法(アンフルラージュ)…室温で油脂に花を置いて香りを吸着させる方法

・ポマード…香りを高濃度に吸着させた飽和油脂
・アブソリュート…ポマードをアルコールで処理して精油のみを抽出したもの

(2)溶剤抽出法(揮発性溶剤抽出法)…ノルマルヘキサンなどの揮発性溶剤を使用して花などの芳香分子を抽出し、その後アルコールで処理する方法。加温しないため、熱変性が少なく、水溶性成分を含む。

・コンクリート…芳香成分を抽出した後、溶剤を取り除いたロウ状のもの→コンクリートをアルコールで処理して「アブソリュート」」精油を得る。
・レジノイド…樹脂などの原料をアルコールで抽出し、さらに濃縮して得た可溶性樹脂を含むもの
・オレオレジン…ある種の植物乾燥物(スパイスなど)を揮発性溶剤で抽出して溶剤を除去して得たペースト状のもの
・芳香チンキ…アルコールなどの溶剤で抽出し、溶剤を回収後に抽出濃縮物をアルコールに希釈したもの

(3)超臨界流体抽出法…常温では気体である炭酸ガス(二酸化炭素)などを加圧、冷却して抽出溶剤とし、精油を抽出する方法。(抽出後、常温に戻すとガスは揮発して精油は残る)

注目の方法だそうですが、大型の装置が必要でまだ流通量が少なく、アロマテラピーでの使用例が少ないのが現状だそうです。
水蒸気蒸留法や圧搾法で採られた精油とは成分の構成が異なっていて、エビデンスが少ない、とのことでした。(ナードのエビデンスは水蒸気蒸留法によるもの)


このレッスンで、アドバイザーコースででも扱った「パルマローザ」という精油をもう少し詳しく学びました。
この精油には「鎮痛作用」「抗菌作用」があり、感染症に効能があるということを学んだので、レッスンが終わってからルームに寄って、朝から少し喉が痛いと言っていた子ども用に喉用のジェルを作りました。
また、ギブスをしている母の指先が紫色になっていたので、「鬱滞除去」にはヘリクリサム、と教えていただいたのですが、持っていなかったので、ローレルとラヴィンツァラで代用したジェルを作りました。
ローレル3滴、ラヴィンツァラ1滴を10グラムのジェル基材に混ぜ合わせると、2%の濃度になります。
子ども用には15%の濃度ですので、10グラムのジェル基材に対して30滴。
中田先生にお聞きすると、すぐにレシピと濃度を答えていただけるので、本当に凄いなあと思います。ありがたいです。

画像は、子どもに作ったジェル10g。

詩の世界
2017/08/18
「日常」に潜む「非日常」〜平田俊子の詩「あいさつは大事」〜  
今朝はちょっと風変わりな詩を。「読書への誘い」第2号で紹介したものです。

  

 


続き
年中行事
2017/08/17
盂蘭盆会 施餓鬼法要(うらぼんえ せがきほうよう)  
昨日は、父のお墓のある霊園で「盂蘭盆会 施餓鬼法要」が営まれました。
昨年は、父のお葬式を行ってくれたお寺での法要に参加して、霊園での法要には参加しなかったので、今年が初めて、となりました。
午前の部とお昼の部、夕方の部の3回あったのですが、最後の夕方の部に参加しました。

まずは法話。
「盂蘭盆会」はサンスクリット語の「ウランバーナ」からきていて、「逆さ吊り」のこと、だとか。
つまりは、地獄に落ちての苦しみを意味するそうな。
それから、釈迦の10大弟子の内の「目連尊者」の話。

安居(あんご=それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行する期間のこと)の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。

喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。

哀れに思って、釈迦に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘(修行僧)に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と言われた。
その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。
すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

「飲んだり食べたり踊ったり」の踊りが「盆踊り」の由来だそうです。
四天王寺では、開祖の聖徳太子の生誕1400年を迎える平成34年に向けて、3年前から「河内音頭」の曲に乗せて、歌詞は聖徳太子にまつわるお話にして始めたそうです。
…まあ、お経も「如是我聞」(=お釈迦様がおっしゃったことをこんな風に私は聞きました)というお話だから、新たに「聖徳太子はこんなお方です」のお話ができてもいいのかもしれない。
毎年、「〜編」ということで、聖徳太子一代記①ご生誕編、②少年時代編、③蘇我vs物部編、と続き、今年は「④四天王寺創建編」だったそうです。

ふう〜ん。
どんな宗派も受け入れます、という四天王寺は、「和宗 総本山」として立っているお寺だったのですね。
両親が自分たちで用意した墓地だったので、知りませんでした。
ちょっと、「聖徳太子一代記」も面白そうですね。

それから、声明が始まって。続いて読経。読経の最後は般若心経でした。
その辺りから、一般参列者のご焼香が始まり…。

会館の外に出ると、夜の7時前で、辺りはすっかり日暮れていました。
墓地を通って駐車場に向かう途中、頬を通り過ぎる風が爽やかに感じられました。
ああ、もうやっぱりお盆を過ぎた風だ…と思いました。

子どもは退屈そうでしたが、私には法話やお経を聞いたりする時間が心地よく感じられることにも気づきました。
あれやこれや…思いを馳せるのに、必要な時間、なのかもしれません。

画像は、法要が営まれた会館。お坊さんが十人も来られていました。
金色の、燦然と輝く調度品で、「死ぬのは怖くないんだよ」と説いているのでしょうか?

絵本の世界
2017/08/16
クレーの絵に詩を添える〜『クレーの絵本』谷川俊太郎〜  
本の帯には「Art & Poem  響きあう絵と言葉のおくりもの」とあります。
講談社から1995年に第1刷が出ています。私が持っているのは1999年の第12刷。
パウル・クレー(1979−1940)の絵に谷川俊太郎が言葉を添えて、美しい詩絵本となりました。

クレーは音楽教師の父と声楽家の母、三歳年上の姉の四人家族の長男として、恵まれた環境に育ち、4歳で祖母から絵を、7歳でバイオリンを始めたそうです。ナチスによる迫害と、皮膚硬化症という奇病に苦しみながらも、目覚ましい創作活動を展開し、1940年6月、療養先の病院にて永眠。
絵と音楽と詩にあふれた生涯だった、と奥付の紹介にありました。

いくつかの、目に留まった詩と絵を紹介したいと思います。


13  「まじめな顔つき」(1939)

  まじめなひとが
  まじめにあるいてゆく
  かなしい

  まじめなひとが
  まじめにないている
  おかしい
  
  まじめなひとが
  まじめにあやまる
  はらがたつ

  まじめなひとが
  まじめにひとをころす
  おそろしい


この絵本の13番目の絵と、それに添えられた詩です。
昨日は8月15日、終戦記念の日でした。
それで、多分、目に留まったかと思います。

「かなしい」「おかしい」「はらがたつ」「おそろしい」といった感情を表す言葉。
一般的には詩では用いない言葉です。
悲しい時に「悲しい」と表現するのではなく「悲しい」情景を描写する、というのが「詩の作法」だからです。
けれど、あえて詩人はこの言葉を持ってきました。しかも、ひらがな表記で。

すると、どうでしょう? 
「まじめなひとが/まじめにあるいていく」その姿が、滑稽で、そして妙に物哀しく、情景として浮かんできます。
「かなしい」は「悲しい」でも「哀しい」でも「愛しい」でもいいわけで。
どんな風に感じるかは、読み手に委ねられています。
漢字文化をベースにして、和語の持つ響きで奥行きを持たせた試みだと思います。

最後の連は、そういった「普通の人」が「普通に」人が殺せる恐ろしさを訴えていると思います。
そのような狂気に走るムードにならないよう、踏ん張らないといけないと私は感じています。



35  「死と炎」(1940)

  かわりにしんでくれるひとがいないので
  わたしはじぶんでしなねばならない
  だれのほねでもない
  わたしはわたしのほねになる
  かなしみ
  かわのながれ
  ひとびとのおしゃべり
  あさつゆにぬれたくものす
  そのどれひとつとして
  わたしはたずさえてゆくことができない
  せめてすきなうただけは
  きこえていてはくれぬだろうか
  わたしのほねのみみに


1940年というと、クレーが亡くなった年ですね。
死の影を感じていたのでしょうか。妙に絵が暗いです。
それに反応してか、谷川俊太郎はこのような詩を添えました。

ボイスアートのまやはるこ先生が、「死んでいくときの描写は、『かぐや姫』のアニメ映画で上手に描かれていたと思う。あんな風に、だんだんとこの世での記憶がなくなって、感情が消えていって、無表情になる」と言われていたのを思い出します。

そうなんでしょうね。記憶を手放すから、感情の起伏もなくなり、何も感じなくなって、やっと「執着」から解放されるのかもしれません。
わたしの好きだったものは「そのどれひとつとして/わたしはたずさえていくことができない」と知りつつ、それでも、と願うのですね。
「せめてすきなうただけは/きこえていてはくれぬだろうか/わたしのほねのみみに」
それが「私」の残像となることを願ってしまう。かくも「私」から離れることは難しい。



37  「黄金の魚」(1925)

  おおきなさかなはおおきなくちで
  ちゅうくらいのさかなをたべ
  ちゅうくらいのさかなは
  ちいさなさかねをたべ
  ちいさなさかなは
  もっとちいさな
  さかなをたべ
  いのちはいのちをいけにえとして
  ひかりかがやく
  しあわせはふしあわせをやしないとして
  はなひらく
  どんなよろこびのふかいうみにも
  ひとつぶのなみだが
  とけていないということはない


最後は、表紙絵となっている「黄金の魚」です。
生きているということが、そもそも他の命をいただいていることで。
それを考えると、確かに、手放しで喜べるものなど、何ひとつないのかもしれない。

始まりがあれば終わりがあって。人との出会いもそう。
出会いがあれば、別れもあって。

そういえば、「出会いは選べないけど、別れは選べる」というようなことを聞いたことがあるような。
出会いは偶然に始まるけど、別れは…どんな別れ方をするかは、自分の意志で選べる、と。
「突然の失恋もあるから、それは違うよ」と言われそうだけど、でも、その場合だって、いろんな別れの兆候を「見ないふり」「気づかないふり」をしてきた自分がいるのだと思う。

でも…出会いも本当は自分の意志かもしれない。
会ったとしても、心動かされないと「出会えない」。
心動くためにはほんの少しでも、心に「余裕」というか…「余白」がないと、他の人が入ってこれない。
その「余白」をその人のために作ったのは自分、ではないだろうか。…という気がしてる。

どんなことも「私」が望んだこと、なのね。
ならば、今からは何を望もうか、と考えよう。
どんな今日を、どんな未来を創ろうかって考えよう。

亡くなる年まで絵を描き続けたクレーの存在は、私が何によって立つのか、を思い起こさせてくれました。
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