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ひとを「並列的」に好きになる〜長田弘の詩「あのときかもしれない 七」〜

2018/03/30
ひとを「並列的」に好きになる〜長田弘の詩「あのときかもしれない 七」〜
今日は、「読書への誘い」第81号で紹介してから、ずっと気になっている長田弘の詩「あのときかもしれない」を取り上げたいと思います。


 「あのときかもしれない 七」              長田 弘



 一つの電池に、豆電球を一つ付ける。それからもう一つ、豆電球を繋(つな)ぐ。そのとき、二つの豆電球をならべて直列に繋ぐと、それぞれの豆電球の明るさはぐっと弱まってしまう。けれども、二つの豆電球を二段にわけて並列に繋ぐと、二つの豆電球のどちらの明るさも、一つの電池に豆電球を一つだけ繋いだときとすこしも変わらないのだ。

 

 直列式と並列式のそのちがいを、きみはいまでもよくおぼえている。それには理由がある。きみがはじめて女の子からもらった手紙に、そのことが書いてあったからだ。それは、直列式と並列式のちがいを、はじめて学校でならったころのことだった。

 

 毎日学校で顔をあわせても、そのころはもう、男の子と女の子とはめったに口をきくことがなかった。ほんとうは話をしたり、笑ったりしたいのに、きみたちは素直にそうすることができなかった。男の子と女の子がたがいのちがいに気づきはじめると、おたがいを繋ぐ自然な言葉が、急に失(な)くなってしまう。で、きみたちはよく手紙を書いた。

 

 けれど、手紙のなかでさえ、わざわざ難しい言葉を探してきては、四角四面な言葉を、きみたちはつかった。たとえば、「ぼくはきみに関心がある」と男の子が書けば、それは「ぼくはきみが好きだ」という意味だった。そして女の子が、「かれはわたしのことを意識してるんだわ」と言えば、それは「かれはわたしを好きなんだわ」ということなのだった。

 

 「好きだ」というただそれだけの言葉を、きみたちはどうしても言えない。「好きだ」と言いたいのだが、もし「好きだから、どうなんだ」と言われればそれまでだと、きみたちは知っていた。つまり、きみたちは、たがいにちがう人間がたがいのちがいを共にするということの難しさを、ようやく知りはじめていた。

 

 そんなとき、きみは好きな女の子にはじめて手紙を書いて、返事をもらったのだった。「お手紙ありがとう」。女の子は書いてきた。「きみがわたしのことを意識してるなんて知らなかったわ。でも、無駄よ。わたしは直列式の友情は信じないわ。わたしの信じるのは、並列式の友情だけよ。さよなら」。その手紙をもらったとき、きみはあわてて理科の教科書をひろげて、復習しなければならなかった。きみは理科は不得意だった。

 

 きみは二どと、女の子に手紙を書かなかった。復習しないとわからない返事をもらうなんて、懲り懲りだ。だが、おおきくなってからも、きみはそのときの女の子の返事の言葉を忘れることはできなかった。きみはいまでは、二人のちがう人間がたがいの明るさを弱めることなく、おなじ明るさのままで一緒にいるということがどんなに難しいことかを、よく知っている。


 そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。ひとを直列的にでなく、並列的に好きになるということが、どんなに難しいことかを、きみがほんとうに知ったとき。                  (詩集『深呼吸の必要』晶文社・1984年刊)

 

 

 

「ひとを直列的にでなく、並列的に好きになる」とは、「二人のちがう人間がたがいの明るさを弱めることなく、おなじ明るさのままで一緒にいる」ということで。

 

確かに。それはとてもとても、難しい。

特に、若ければ若いほど。

 

嫌われたくなくて、相手に合わせてしまうような無理をする。

でも、自分をどこかに置いて相手に合わせることは、長続きしない。

そのうち、息苦しくなったり、居心地が悪くなったりするから。

 

その息苦しさや居心地の悪さを無視していると、心が不安定になってくる。

自分に自信が持てなくなったり、自分が嫌いになってしまう。

 

無理はだめなのよ、ね。

 

何にしても。

 

…私が、無理をしても「長続きしない」ことが分かったのは、いつの頃なんだろう?

随分、遅いかもしれない。

 

もっと大きくなると、一緒にいて感じる「居心地の良さ」はずっとではなくて、場面で変わることもあることに気づく。

そうすると、「どんなときに居心地が悪いか」を考え始める。

 

私の場合は、私の自由を束縛されるときだった。

 

それでも、「居心地がいい」状態の時間が長いと、一緒にいたくなる。

だけど、早いうちから思っていた。

「今は、私に必要だから、一緒にいるけど。」と。

 

時期が来れば、私はひとりで歩き出すことを、私は知っていた。

「まだ、一緒にいたい」と思うのは、時期が来てないからだと、私は思っていた。

…そして、そのとおり、だった。

 

Sさん、私はあなたに同質のものを感じます。

あなたも…この点においては私と同じ、ではないのでしょうか?

「これまでは、必要だった。でも、これからは分からない」といった私の言葉に、あなたは大きく頷いたのだから。

 

あなたは「取り返しのつかなさ」を感じる必要はない。

来し方を振り返っても、…多分、他に選択肢はなかったのだと思う。

でも「これからは、わからない」。…そう、あなた自身も言った。

そのとおりだと私は思います。

 

「人を並列的に好きになること」そして、「その状態を保つこと」は、本当に難しい。

そう、私は思います。

 

画像は、一昨日に撮った、自宅の庭の花モモ。

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