(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしょう あかるくするために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ
銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……
…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる
わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう
わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ
ああ あのとざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ
この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ
(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ
「永訣の朝」を知ったのは、…多分、高校生の時。
習った覚えはないけれど、教科書に載っていて、読んだ。
何か…重くて、見ていられない気がして、そそくさと本を閉じた、気がする。
その次は、自分が高校の国語の教員になってから。
「永訣の朝」は沢山の教科書に採られていた。
私はできる限り、この詩の授業を避けた、気がする。
できることなら、この詩は扱いたくなかった。
…私自身が、この詩にどう向き合うのか、わからなかった。
そのまま年月が過ぎ、今月初め、思わぬところで耳にした。
そして、あ、違う! と思った。
何が違うのか。
「ああ、とし子」の「ああ」を聴いたときに、その音ではない、と思った。
…賢治が、泣いているのがわからない?
血の涙を流しながら、呼び掛けるのが、その「ああ」であって、いいわけない!
賢治の…慟哭が聞こえない?
声にもならない、地の果てに響く、嘆きの声が。
妹とし子は、単なる妹ではない。
賢治の唯一の理解者で、共に「法華経」という仏の道を歩もうとした同志だった。
…もしかして、その存在がなぜ妹なのか…?という苦しみもあったかもしれない。
その唯一かけがえのない存在を、今まさに失おうとするとき。
賢治は、これから先も、これまでと同じ道を歩むことを妹に誓い、
これからも共に生きることを願うことしか自分に残されていない、と。
そんな決意を表明することでしか、鎮魂に向かえない。
それは妹の鎮魂であり、自らの鎮魂。
…そうね。「鎮魂歌」は、残された者の魂を鎮めるためのもの、かもしれない。
画像は、午後からのボイスアート・グループセッションの帰りに撮った、梅田の街路樹。
年末に向けて、街がイルミネーションに彩られるのは、これも「鎮魂」のひとつのかたち、かもしれない。
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