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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
  3. 母との暮らし
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
母との暮らし
2018/03/05
県立民族博物館(旧大和博物館)に梅を見に  
昨日は、日中の気温が20℃を超えて、汗ばむぐらいでしたね。
急に思い立って、朝10時に家を出て、母と杏樹(アンジー)を連れて、県立民族博物館の梅林に行きました。

そういえば、昨年は枚岡の梅林に行ったのだけど、とうに「梅林」はなくなっていて。
そんなことを思い出しながら、民族博物館には駐車場があるというので、車を出しました。


続き
母との暮らし
2017/10/28
神戸の秋の一日  

昨日は、母と杏樹(アンジー)を連れて、神戸の秋の散策に出掛けました。

新神戸駅近くに「布引ハーブ園」というところがあって、今年友人と有馬温泉に泊まりに行った母がそこに寄ったらしいのです。

「ワンコも大丈夫だったから」というので、いつものワンコ用抱っこ袋に入れて、電車に乗り込みました。

 

ここがハーブ園へのロープウェイ入り口。

 

エントランスも素敵で。

 

おお!あれに見えるは、ハーブ園へのロープウェイ! と期待感マックスだったのですが、ロープウェイ入り口へのエレベーターに乗り込もうとして、係の人に「犬はダメだよ」と言われて「え?」。

母を振り返ると「わんこ見かけたけど…」と不安げな様子。

どうやら、盲導犬や介護券はOKだけど、それ以外はダメなようでした。

それでも諦めきれない私は、ロープウェイチケット売り場のお姉さんに「この袋の中に入れて、出さない、ということでもダメですか?」

と聞いたんだけど、素っ気なく「ダメです」。

 

母は、「せっかくここまで来たんだから、ひとりで行っておいでよ。アンジーとどっか うろうろしてるから。」

と言いましたが、そんなわけにも、ね。

お昼になったので、(ハーブ園でランチ♪のハズだった…)近くのインド人のカレー屋さんでランチして。

それから、「異人館通りへの散歩道」の案内が見えたので、お花を撮る予定を、館を撮ることに切り替えました。

 

散歩道は、高台にあって、ちょっと眺めもよくて。

桜葉も紅葉していて、いい感じ。

 

異人館通りに入ると、「異人館」でないマンションも、お洒落だなあと、

ね?

 

限りなく、青い空!

 

これは「風見鶏の館」

 

NHK朝ドラの「べっぴんさん」に出てきた館。

 

ひととおり、歩いたら、「シティー・ループ」のバスで、海辺へ。

 

メリケン波止場。

腰を下ろして、ぼんやりと海を眺めていました。

 

あ、アンジーはこんなふうに、電車やバスやレストランでは、抱っこ袋に。(頭も袋の中に入れます。)

いい一日でした。

 

画像は、異人館通りで見かけた看板。


母との暮らし
2017/08/26
母の手術入院  
お盆に庭仕事をしていて、ちょっとよろめいて手をついてしまった母は左手首骨折となってしまいました。
救急でお世話になった郡山の病院では、全身麻酔での手術と言われたのですが、その翌日にもう一度受診した生駒の病院では、局部麻酔での手術と言っていただいて、その方法で昨日手術が終わりました。
…いえ、全身麻酔と言われたから病院を変えたわけではないのです。
退院後にもリハビリは必要でしょうから、通うのに郡山は遠いから家の近くの病院で、と思っただけで。
だから「生駒の病院に行きますので、検査データと紹介状を書いてください」とお願いしたのでした。

毎朝計る血圧は、上が120台だったのに、病院に来た途端、140を超えて。
手術直前は170にもなって。…きっと、緊張したんだね。
朝から入院したものの、手術は夕方からになって。その間、ドキドキだったね。

手術は約1時間半で終わりました。左肩からの局部麻酔で手術中も意識があるけど、モニターに映る手術箇所は、看護婦さんに「気分が悪くなるから、見ないほうがいいよ」と言われたみたいで。
眉間にしわを寄せたような顔つきで、手術室から出て来ました。17時半過ぎ。

30分は安静にして、飲食はダメで、点滴はし続けたまま、トイレに行って、トイレ介助。
18時半には夕食が出て。
手術のために、朝8時以降に食べ物はダメで、10時以降は飲み物もダメだった母は、よく食べました。
19時を過ぎると外は暗くなって来て…「じゃあ、帰るね。杏樹(アンジー)の散歩に行かないと。」。

人がいないと淋しい母は、大部屋がいい、と言ったので、4人部屋。
…まあ、人の気配がするからいいね。

今日はずっと放ったらかしだったから、帰るとアンジーは大喜びで。
すぐさま散歩に行きました。
私もくたびれて、庭の水やりはパスしてしまったけど、今朝、結構な雨が降っています。…神さま、ありがとう。

母のいない朝。
私はちょっと、いつもと違う雰囲気を感じています。

…母と暮らして1年半。だんだんと、私も母といることに馴染んで来たんだろうか…。
生き方のスタイルは違っているから、母と暮らすにはあれこれ調整が必要だけど。
まあ、私も子どもの時とは違うからね。
私はそんな風にはしたくない、いや、しません、ときちんと線引きしているつもりではあるけど。

ちょうどいいタイミング、かもしれない。
私はどんな暮らしをひとりでして来たか、もう一度思い出すのに。

私は…無意識に、人の望むように合わせてしまう、ところがあるから。
こんな風にして欲しいんだろうな、を感じると、つい、そうしてあげたくなる。
時に、それが、自分の許容量を超えていることもあって、いきなり「しんどさ」を感じてずしんと落ち込む、ことが多かったから。…そう、ゲシュタルト療法に出会うまでは。

…そうそう。人との距離感を上手く取るのが苦手だった、ので。
今は…かなり改善された、と思っているんだけど、家族、はまだ、もう少し、難しい。

そう。厄介だよね、自分と付き合うのは。厄介だけど、丁寧に聴いていこう。
…そう思えた朝でした。

画像は、おねだりの時のように見上げるアンジー。…そうそう、この子との攻防もありました!

母との暮らし
2017/08/10
お盆前のお墓掃除  
台風5号が去っていった翌朝は曇り空だったので、ちょうどお墓の草抜きをしたりするのにいいように思って、「今から行く?」って母に声掛けしたら「行く」というので、早速準備をして車で出かけました。
お墓は富雄の高台の霊園にあって、車じゃないと難しい。
まあ、富雄駅からマイクロバスの定期便が出ているらしいけど。

雨が降った後なので、草抜きもしやすく。
…それにしても、毎度毎度、よく生えてくるね。ホント雑草はたくましい。
抜き取られても、根っこを少し残しているんだね。
抜き取られた瞬間は、やっぱり「悔しい」と思うんだろうか?
それとも…「まあ、いいさ。今に見てろ」と思うんだろうか。

草抜きをしながら、亡くなった父の姉である伯母の話が出て。
看護婦として長年働いた伯母はしゃきしゃきしていて、きょうだいからも頼りにされて。
4つ違いの父が小学校に入学した時には、大丈夫だろうか、うまくやっているだろうかと、しばしば1年生の教室まで父の様子を見に行った、という話を伯母から聞いたことがあります。

その伯母は今年90歳。
さすがにこの夏は農作業はできなくなったそうです。

いやいや。連日35度を超えているのに、農作業なんかしたら倒れてしまうよ。

この伯母の口癖は「負けてられん」。
いろんな問題に正面から向き合うのに、そう言って自分を鼓舞してきたのでしょうね。

そんな伯母が、母と電話で話していて「墓参りに行くのが嫌になった。自分が参るのはいいけど、自分がここに入るのかと思うと情けのうなる」と言ったらしい。
昨年、そういえば私も伯母から聞いたなあと思いながら。

「お墓に入るのが嫌なら、散骨でもしてもらったらいいのに」と私が言ったら「そうじゃなくて、死にたくないってことやと思う」と母。
ふう〜ん。でもみんな、いずれ死ぬよ。死なない人なんていないよ。
…そういうことじゃなくて、死ぬのが怖いんだろうか…?

まあ、ね。初めての経験は、誰しも不安に思うでしょうね。
私も、…今は不安に思っていなくても、歳を重ねて、いつ死んでもおかしくない歳になれば、不安に思うのだろうか?
わからないけど。物心ついた時からずっと淋しかった私は、10代20代が淋しいばかりだった。
そうして、少しずつ「淋しいばかり」から抜け出てこられたんだけど。

だから、ね。私は、もう生きなくていいなら、なんか嬉しい気がするんだけど。
いえ、生きている間は、私なりに精一杯を積み重ねようとは思います。
でも、もういいよ、って言われたら、「ホント?」ってワクワクウキウキで、お布団の中でぬくぬくしている気分、なんだけど。

みんなに会えなくなって、生きてきた記憶も薄れて、この世にお別れを告げるのでしょうね。
周囲の音や声は最期まで聞こえているらしい。
幽体離脱、なんかしちゃって、周囲を見渡して、魂が肉体から抜けていくんだろうか…。

みんなに会えなくなるのは淋しい、とか、この場所から離れるのは淋しい、とか、これはみんな「執着」なんでしょうね。
「諸行無常」…みんな流れていく…変化していく…
そうか…母にも伯母にも、「平家物語」の冒頭や「方丈記」の冒頭を教えてあげよう。
昔から、日本人はこんな風に世の中や人生を捉えていたんだよ、という知恵を。
「古典」はこんな時に、少しは役に立つかもしれない。

お墓の草抜きをしながら、こんなことを考えていました。
それから、お花を供えて。1歳になるまでに亡くなった甥っ子のお墓にも。

画像は、この前通った、表参道の交差点。
私には、時折、都会のビルが卒塔婆のように見えること、あります。

母との暮らし
2017/07/24
アーサー・ビナードの詩「へそくり」  
2012年12月22日、アーサー・ビナードさんが広島に来て、講演をされた時に買った詩集『ゴミの日』から、「へそくり」という詩を。


         「へそくり」      アーサー・ビナード

  あなたがした
  ちいさないやなこと
  あなたがおとして
  きづいてもいない
  くらいちいさな
  ゆるせないことの
  いちもんいちもんを
  そっとこころの
  からくりばこに
  しまっておこう
  わたしがこころの
  むいちもんになった
  ときのために
                     (詩集『ゴミの日』2008年7月初版 理想社)


「こころのむいちもん」ってなんだろう? …心に余裕がない時? 心に余裕がなくて、相手の言動が、許せない!と思う時?   …そうかもしれない。

私の「こころのむいちもん」は、どういった時に生じるか。
母の「被害者」に立っての物言いを聞いた時。
私は可哀想。私はなぜ責められなければならないの? そういって、自分の言動を棚の上に上げて、小さな子どもになる時。

私はつい、母のインナーチャイルドを育てようと決心したことを忘れ、そういって私を「操作」して来た母を思い出す。
「お前は親不孝」「親がこんなにお前のことを考えているのに、なんでお前は反抗ばかりするのか」
そういって、自分の願いを押し付けてきた。

家もいらない。財産もいらない。私は自由が欲しい。
自分の思うように生きていっていいよ、という自由が欲しい。
そう思って、私は家を飛び出し、自分で生きてきた。
自分で生きていくだけのお金は自分で稼ぐから、もっと楽に息がしたい。
そう思って生きてきた。
自分で生きていけるだけのものを持って、やっと親と向き合えた。

母には、自分がやってきたことの振り返りも反省もない。
それは分かっているつもりなんだけど、時折、私の心が悲鳴をあげる。

無駄よ。
言ったところで。
母は依怙地になるだけで。

で、「へそくり」なんだけど。
自分の心に余裕がなくなった時のために「あなたがしたちいさないやなこと」を心のからくり箱に入れておこう、と言うのですね。
自分だって、あんな風な嫌なことをしたじゃないか、自分にとっては「小さな」ことかもしれないけど、人にとっては「小さな」ことで済んでないかもしれない。
どうしようもなく「許せない!」って気持ちにさせたかもしれない。

…そうね。そうかもしれない。
自分のことはわからないものね。
分かっているつもりでも分かってないかもしれない、と思っていた方がいい。

人を傷つけるつもりはなくても、傷つけているかもしれない。
私の存在そのものが目障りな人もいるかもしれない。

でも、今の私は「自己否定」には陥らない。

あとは…自分の心が穏やかにいられるように、もう少し工夫が必要。
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