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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
ボイスアート
2017/08/27
ともこさんの「ボイスアート即興ライブ」  
昨日は、ゲシュタルト仲間でありボイスアート仲間でもあるともこさんの「ボイスアート即興ライブ」に行ってきました。
奈良市今御門町(近鉄奈良駅下車、もちいどの商店街を抜けた、ならまちの一角)にある、「ギャラリーカフェTakeno」が会場です。

ボイスアート(R)とは、歌手まやはるこさんが考案された、「自分の息を聴くことで自分のありようを自分軸に戻し、声の表現を通して本来の自分に帰る」営みです。
阪神・淡路大震災に遭遇して歌えなくなり…といった壮絶なご体験から生まれました。
そのボイスアートの、即興ライブって? と、どんな時間になるのか楽しみにしていました。

受付が終わると、プログラムが渡され。


それから、「陽気な妖怪の森〜鈴ぎんとその仲間たち〜」という、今日のライブの「見取り図」的な小冊子も。


冊子を繰ると…


わあ、何これ? 「案内人 ガマグチガミ」が出てきて…なになに? 
「『妖怪の森』の裏ボス。福寿エネルギーがつまった‘黄金真珠’をくわえている」
ふう〜ん…そうなの。って、これって「がま口財布」がモデル? …そりゃあまあ、お財布にそんな福寿エネルギーがあると、お金がザクザク寄ってきそうでいいなあ。
そいつが案内のご口上。

「みなみなさま ようこそ
   なんか用かい?
   陽気な陽怪たち棲む
   妖怪の森へ よくおいでくださった

   わしは 千年前の昔からこの森に
   棲みついておるガマグチガミじゃ
   
   しばしこの森で 陽気な仲間たちと
   遊んでいかれるが よいのう

   それでは森の中へ 参ろうか…」

次のページには「鈴ぎん」がでてきて。
参加者は「通行手形」として「鈴ぎん」のBGMを練習するわけです。

「♬ 月夜にシャンシャン ごきげん鈴ぎん
       月夜にシャンシャン シャンシャンシャン」

一方で、ところどころ、ボイスアートのいくつかの発声法を織り交ぜて。
準備が終われば、「妖怪の森」に踏み入れます。


…ああ、こうやって異次元の世界に連れていって、その中でボイスアートの発声を行ないながら、ストーリーが進んでいく「参加型ワークショップ」だったんだ!

と、気づいた時には、引き込まれておりました。

 

妖怪たちも、ともこさんの生み出したパステル和アートで。

妖怪っていっても、怖くなくて、寂しい心に寄り添ってくれるようなものたちで。

全てが「ともこワールド」で構成されていました。

「妖怪の森」へのご案内の巻き物まであって…




妖怪たちも、ひとりずつ、描かれていて…。


楽しい時間でした。


ボイスアート
2017/08/21
ボイスアート・学びの時間(1)  
昨日は、まやはるこ先生の「ボイスアートの勉強会」に初参加しました。
月に一度、神戸のセッション・ルームで行われているものです。

「お辞儀呼吸法」で、意識を自分軸に戻すことをして。
まず、「与える」ということについてのお話がありました。
これは「受け取る」ということと、横軸と縦軸の関係にある、と。

「与える」ことをしようとする時に、「奪われてしまうかもしれない恐怖」に捕らわれることがある、と。
そんな時は「自分の呼吸に還る」ことで「『与える』に還る」のだと。
「自分の呼吸に戻る」とは、自分はどこに在るのか、自分をからっぽにして「分かち合う」立ち位置に立つこと。
そのためには自分の感じている「恐怖」を自覚できることが大事、「気づく」ことが大事。「気づく」ことが「自分を見る」ということである、と。

私にとっては「奪われてしまうかもしれない恐怖」とは「呑み込まれてしまうかれしれない恐怖」のように思えました。呑み込まれて、私の存在が無くなってしまうような…。
心の調子が良くない時に、人前で話をする時、授業をする時に、感じたことがあります。
自分がしっかりとそこに居ることができなくて、ゆったりできなくて、ホント文字通り「心、ここに在らず」の状態。
人前であがったりするのは、こんな時かもしれません。

…そういえば、あがってるな、と自覚した時は、私は無意識に息をゆっくり吐いていた。
肩の力を抜いて、ゆったり構えることを、誰に教わるとなくしていた気がします。

次に「分かりません」という言葉の意味について。
よくよく考えを巡らせて、「わからない」という場合と、「分かりたくない」「考えたくない」という場合の「わからない」がある、と。
後者の場合、「教える」ということをやってはいけない。なぜなら、「教える」ことは「情報を与える」ことだから。
そうではなく、「伝える」ことを。「伝える」とは分かち合うこと。
「分かち合う」とは許し、解放すること。そこには必ず「気づき」がある。だから、安心して不思議と開かれていく、と。

それから、二人組みになって「楽しかった子どもの頃」をテーマに、ワークを行いました。
私は、参加人数が奇数だった関係で、まや先生と組みました。
「楽しかった子どもの頃」を扱おうとすると、いつも私は困ってしまいます。
何も出てこないからです。

目を閉じて、年齢退行を行なって、私が思い出したのは、9歳ぐらいの時、3歳下の妹を連れて、ピアノの先生のお家にレッスンに行った帰り、バスを乗り間違えて、家のバス停まであと少し、のところで右折レーンにバスは入っていって、「あ、違う…」と絶望的な気持ちになってバスが右折するのを見ていた私。
妹はべそをかき出すし、泣きたいのは私も一緒、なのに、どうにかしなきゃ…と必死で考えていた。
…とりあえず、次のバス停で降りよう。
運転手さんに、乗り間違えたことを言って、余分なお金がないことを言ってみよう。
それから…バスが曲がる前の道まで歩いて戻ろう。バスは高架橋を渡ったから、ちょっと距離はあるけど。
それから、バスをよく見て、もう一度お家までのバスに乗ろう。

泣かんでいいよ、大丈夫、お家に帰れるから。
そう言って、妹の手を引いて、歩き出したことを鮮明に覚えています。
運転手さんは、運賃はいい、と言ってくれた。
とりあえず、バスに乗るお金はある。
大丈夫。大丈夫。

家にたどり着くと、母に叱られて。どうして間違えたりしたの? と。
だから、この話は私には「失敗した話」として記憶されていたのだけど、まや先生から「大事なことは無事に家に帰れたこと。不安でいっぱいのマコちゃんに、今のまこさんがそばにいてあげて、大丈夫よ、よく頑張ったね、偉いね、と声を掛けてあげてください」と言われました。
「あなたが辛かったこと、怖かったことはみんな私が知っているからね。だって、私はあなただから」と声掛けすることも。「そうして、二人を光で包んであげてください」と。

「小さなマコちゃんは、どんな風ですか?」と尋ねられて、「なんだか嬉しそうに私を見上げています」と答えました。
…そう、私は、9歳の時の私が、やっとにっこりしたのを見たのでした。

母がなんでその時叱ったのか…それもわかる気がしました。母はびっくりしたのです。
びっくりして、その気持ちを持て余して、どうしてそんな心配をさせるの? と私を責めたんだと思います。
私がちゃんとバスを間違えなかったら、そんな心配をさせられることもなかったのに、と。

でも、今回のワークで大事なのは、不測の事態が起きてもちゃんと私は対処したんだ、ということ。
それを認めてあげること。無事に家に帰ることを、ちゃんとやり遂げた話として認めること。

誰も間違えたくて間違えるわけではない。
でも、予想外のことが起きるのが人生ではないか、と思います。
起きてしまったことに、なぜ?と問うのではなく、「どうすれば、この状況を切り抜けられるか」にシフトした方がいい。
なぜ?と問うても、自分や状況を責めるばかりで、事態は変わらないから。
自分を責めることは、力が萎えていっても、事態に対処する力は湧いてこないから。

…そうね。今日、下宿に戻る子どもに、この話をしよう。
不測の事態に対して、どう対処するか、があなたの財産になる。
そう。自分を責めることは無益で、逆に有害ですらある、と。

画像は、つい最近、トリミングに行った杏樹(アンジー)。胸張って、すっくと前を向いています。

ボイスアート
2017/08/04
ボイスアートの時間(2)〜鳥になって大空を舞う〜  
一昨日、まやはるこ先生のボイスアートのレッスンを受けに、梅田まで行きました。
この前の週末、フォーカシングのワークショップの前は、気持ちがちょっと穏やかでないところもあったのですが、この日はワークを受け終えた後の、穏やかでいい状態のままではありました。
いつも、時間の最初に「今日の時間に望むことは?」と聞かれるのですが、正直、その日は何かを望む気持ちはありませんでした。

さて。「お辞儀呼吸法」で、身体をほぐして。
立った状態で、まや先生が「ちょっと肩甲骨を意識して、両腕を動かしてみましょう」と声掛けされて。
「私たちの身体は、進化してきた過程を覚えていますから。両腕は、羽であった時代もあって…」
そして、羽ばたくように腕を動かして、離陸していったのでした。

私は思わず、「週末のフォーカシングのワークで、私は、鳥になっては飛べなくて。仕方なく飛行機の翼になってたんだけど…」と口走っていました。
でも、そう! こんな風に肩甲骨を意識したら、飛ぶように腕は動かせて。
そして、7月初めに旭川まで飛行機で飛んだ時に見た、離陸していくときの、家や木や町並みがだんだん小さくなっていく風景や、雲の上にいるときの、雲やら光やら…いろんな光景が思い出されてきて、気づいたら、私は空を飛んでいました。

まだ、飛行機から見た景色に縛られて、自分で旋回したりはできなかったのだけど。
でも、飛行機の翼ではなく、翼を持つ鳥になっていた…。

意識は自由に羽ばたかせることができるのですね。
子どもの頃、辛い時には「現実逃避」で、私は私でないものになっていたりしたけど、ボイスアートでは、私は私でないものになるのではなく、私自身が、できることを一つ増やすように「遊ぶ」ことができる。
そう! 子どもが今までできなかったことができるようになって、楽しみが増える感じ。
…実際に、私の中のインナーチャイルドも、キャッキャ喜んでいるのがわかる。

「現実逃避」だと、現実の自分を否定しているところがあって、「見たくないものを見ないように」目をそらしているから、どこか完全には楽しめない。いずれ終わって、あ〜あ…的な。
ボイスアートのイメージ・ワークは、そのものをそのまま楽しめる。
終わっても、「あー楽しかった! また遊ぼ!」という感じ。
…また、戻りたい時にいつでも戻ってこれる安心感とともに。

鳥になって空を飛ぶのは、フォーカシングのワークの積み残しだったんだ…!
…ということで、これも「未完了」が完了しました。

今度、飛びたい時に自分で飛べるというおまけ付きで。

画像は今年4月の終わりに葛城市で撮ったもの。
今度は、あの木のてっぺんを見下ろせる気がします。

ボイスアート
2017/07/17
ボイスアートワークショップ&ライブ in葛木御歳神社  
ボイスアートのまやはるこ先生が、葛木御歳神社で、ワークショップとライブを開かれるというので、これは逃してはならないと、奈良県御所市まで駆けつけました。

ナビで住所を入れたら1時間半と出たので、朝8時半に出発しました。

既に朝から日射しが強く。予想最高気温は35度越えで。
なんとなく、遠回りしている気がしたのだけど、とりあえず10時少し前に着きました。

10時から神社内でワークショップ。
結構人が集まっていて、20人以上だったと思います。
輪になって、まずは「お辞儀呼吸法」から。
板の間でのワークは初めてで、ちょっと腰が落ち着かなくて、何度か足を組み替えたり。
宮司さんが虫除けの「蚊帳」を釣ってくださっていて、それもなんだか懐かしいような。

お賽銭を入れて、ガランガランと鳴らす場所近くに建っている社殿(神さまが祀られている本殿前の建物)で行われたのですが、周りには樹齢何年だろうと思わされる太い木の幹が見え、鶯の声が聞こえ、他の鳥の声も聞こえ、…という自然感満載の場所でした。

あっという間に1時間半が過ぎ、今回初めてお会いした方も、なんだか懐かしい気持ちになったのでした。

お昼を「みとしの森レストラン」で取り、午後からは、私にとって初ライブ。

 





「まや先生、かしゅだったんだー」というのが、率直な感想。(なんか、「歌手」ではなく「かしゅ」って感じ)
いえ、そうだったんですが、私はボイスアートの先生のお顔しか知らなかったもので。

「かしゅ」というより、歌姫、かな。
この方は、歌うために生まれてきた、というようなことを感じました。

歌うために、というのも語弊があるような気がする。…なんだろう…生きてきて、これからも生きていくのに、歌でもって生きていくのに必要なことを伝えていく人、というような。
私は…多分、それが「言葉」のような気がする…。
私は、生きていくのに必要なことを「言葉」で伝えようとするのだろう…。
とはいえ、歌も「言葉」を紡いで、メロディーに乗せて、なんですが。

案外、私にとっても「歌」は近いのかもしれない。
「言葉」を乗せて、というところで。
…私も歌いたいのかもしれない。

最後の曲「だいじょうぶ」はこの葛木御歳神社の、東川宮司の想いを受けて作詞・作曲された、と紹介された曲でした。
止め処なく涙が流れました。
…こんなに涙が出たのは、百武さんの初ワーク以来かもしれない。(2015年4月に初めてワークに参加した時、2日間私は泣きっぱなしでした。)

(さっき気づいたのですが、東川宮司さんが、この曲が歌われている様子をFacebookにあげられていました。そちらから聞くことができます。ちょっと音がやはりライブの時と違う気がしますが。)

いい時間でした。ゆったりと、そして穏やかに流れた時間でした。

ボイスアート
2017/07/07
ボイスアートの時間  
一昨日は、まやはるこ先生のボイスアートの日でした。
第1・第3水曜日に1時間半のレッスンがあり、「私が私に還る時間」として、私はゲシュタルト療法のワークと共に、何より大事にしています。

「お辞儀呼吸法」から始まって「ハー声呼吸法」に移り、ゆっくりと自分の息を聴いていきました。
自分の息にだけ注目していくと、不思議と心が落ち着いてきます。
私が私でいることが認められているんだということが、自然と自分に分かってきます。
こんなに穏やかな気持ちでいられるのなら、もう何も要らない、とさえ思います。

「ゆっくりと自分の息を聴く」。それだけで満たされていきます。

「前回から今日まで、どんな時間でしたか?」
まやはるこ先生に促されて、最近、行き来が途絶えて40年以上になる従妹からメールが届いた話をしました。
それは、従姉妹と私が仲違いしたのではなく、親同士が仲違いして、行き来が途絶えていただけで。

私は従姉妹に何ら悪感情は抱いていなかったのですが、従妹もそうみたいで、名乗らなければ結婚改姓でわからなかったでしょうに、私のホームページの「メルマガ登録」に、わざわざ名乗ってくれたのです。

私が母に感じる「しんどさ」も、従妹がその母に感じる「しんどさ」と共通するものがあるようで、「やっぱり同じ親に育てられているから共通するみたい」と従妹も言っていました。
私のコラムの「母シリーズ」を読んで、あ、同じや、と思うそうな。

…しんどかったね…Rちゃん。だって私たちの母たちはどこまでいっても「自分が一番大事」で。
従姉が、乳癌になった時も「私の面倒は誰が看るのか」と言ったそうだから。
でも、わかる気がする。…言いそうだよね。

私の母も、私があまり甲状腺癌の検診に行かないものだから、「なんで?」って聞いてきて「まあ、Kも大きくなったから、10年前と状況が違うから、いつ死んでもいいかな、と思ったりして…」と言うと、血相変えて「あんたは私を看る義務がある!」とのたもうたんですから。

私は即座に「義務なんてないよ。生きている間はしょうがないなと思うけど。死んだら知ったこっちゃない!」と言い放ってしまって、母はショックを受けていました。

まあ…私も大人気ない、と思うのですが。
もうちょっと「まあ、しょうがないか」と受け入れてあげても、と頭では思うのですが、積年の苦しい思いをしてきた私のインナーチャイルドが許さない。
何をバカなことを言ってる!と反応してしまう。
…まあ、このところが私の課題です。

北海道も…別にわざわざ研修を受けに北海道まで来なくても、秋に神戸であるのですが、ひとりの時間が欲しかったのです。
私は子どもと二人で暮らしてきて、その上、子どもが高校の時は寮に入ったので、3年間丸々ひとり暮らしを満喫して、…で、時折、「帰る時間」が決められている生活に息苦しさを感じてしまう。

という話をしたら、先生は「1週間でも2週間でも行ってきたらいいのよ。自分に必要なんだから。」とおっしゃいました。
そうね、本当は1週間ぐらい北海道に行きたかった。
でも、4日が限度かな、って。…いえ、母の、ですけど。

ボイスアートが終わった後のみんなで食事!というのも、私は楽しみで。
これは、定着させました。「この日は夕飯要りません」というのと「杏樹(アンジー)のお散歩よろしく!」というの。

…そうね。アンジーが淋しがるのは、ごめんねと思うけど。

その日、食事を終えてさよならする時に、私は先生にハグして欲しくなって、お願いしました。
「行っておいでね。楽しんできてね。」そう言って送り出していただきました。
私はやっぱりまや先生に母を感じるなあ…と思ったことでした。

画像は今朝の旭川の夜明け。4時28分に撮ったのですが、既に日は高かったです。
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