今朝は、なんとなく長田弘の詩集『深呼吸の必要』を手にとって、ぱらぱらとページを繰りました。
そこには「あのときかもしれない」シリーズと、「おおきな木」シリーズが入っていて。
「後記」には、
言葉を深呼吸する。あるいは、言葉で深呼吸する。そうした深呼吸の必要をおぼえたときに、立ちどまって、黙って、必要なだけの言葉を書きとめた。そうした深呼吸のための言葉が、この本の言葉の一つ一つになった。
本は伝言板。言葉は一人から一人への伝言。
伝言板のうえの言葉は、一人から一人へ宛てられているが、いつでも誰でもの目にふれている。いつでも風に吹かれているが、必要なだけの短さで誌された、一人から一人への密かな言葉だ。伝言が親しくとどけば、うれしいのだが。
「あのときかもしれない」「おおきな木」、ともに、以て定稿としたい。(1984年2月)
とありました。
…そうか。「言葉を深呼吸。あるいは、言葉で深呼吸」の時の言葉たちなのか。
確かに。私も深呼吸の必要を感じたときには、必要な言葉を自分の体内に入れ、その言葉で心を落ち着かせている。
ああ、そうなんだ。と、詩人をとても近しく感じた。
「おおきな木」は24篇の詩から成っている。
ゆっくりと、少しずつ読んでいこうか、と思います。