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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
  3. 長田弘の詩
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
長田弘の詩
2018/04/25
自分のこころの痛みを覗き込む〜長田弘の詩「あのときかもしれない 九」〜  
おとなが子どもを邪険に扱うのではなく、丁寧に、小さな友人のように扱うのを見ると、私は何かほっとする。
『ベンのトランペット』という絵本を紹介したときも、確かそういったことを書いた気がする。

「知らない」ことをバカにするのではなく、これはこうなんだよ、と分かり易く解説してもらう。
そう、今でもそんな風に、自分の知らないことを丁寧に解説されると私は嬉しくなる。

それは、ああ、今気がついた。
…それは、父がそういう風に、小さな私に、世の中のことを、新聞記事を、分かり易く解説してくれていたから。
あぐらをかいた父の膝の上に乗り、抱きかかえられるようにして、話を聞くのが好きだった。

今回は、子どもがどんな風におとなから「意味」を継承していくのか、を捉えたもの。

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長田弘の詩
2018/04/19
父の内面に触れる〜長田弘の詩「あのときかもしれない 八」〜  
【「なぜ?」という疑問を発しなくなる〜「あのときかもしれない 六」】で、「私はまだ、『おとな』になっていないのだろうか?」という疑問が湧き起こり、う〜ん、と唸ってしまったのだけど。

そのあとのボイス・アートのレッスンで、まや・はるこ先生に、
「自分を出していい相手かどうか、人を選ぶようになった、というのはおとなになった証拠」と言われ、なるほどなあと思いました。
「無闇に傷つく必要はないからね。」と。

今回は、一層先に進んだ感のある「あのときかもしれない 八」。
「高い頂き」のように思っていた父親が、等身大に見えた一瞬を捉えたもの。

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長田弘の詩
2018/04/13
「なぜ?」という疑問を発しなくなる〜長田弘の詩「あのときかもしれない 六」〜  
子どもは3歳前ぐらいになると、「なんで?」と言い始める。
おとなは余りにしつこく「なんで?」を言われると、面倒になって、「何でもかんでも、なんで、なんでってうるさいよ!」って言ってしまいがち。
でも、本当に分からないんだよね…? どうしてだか。どうしてそんな風になっているんだか。

私もご多分に漏れず、おとなに邪険に扱われたから、私は子どもが「なんで?」って聞いてきたときには邪険にしなかった。と思う。
子どもに聞いてみないとわからないけど。

今回は、そんなこどもの「なぜ」を取り上げたものです。
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長田弘の詩
2018/04/11
「自分にちょうど」を知る〜長田弘の詩「あのときかもしれない 五」〜  
もう「お勤め」を辞めて2年になるのに、朝は5時もしくはその前に目が覚める。
目覚まし時計も必要なく。

5時起きは、長年の私の習慣だった。
5時に起きて、洗濯機を回して、朝ご飯の準備をして、子どもを起こす。
洗濯物を干して、7時前に家を出る。

学校には7時半には着いていた。
学校が始まる1時間前に行かないと、準備が整わなかった。

今は、5時前ぐらいに起き出して、コラムを書く、生活。

自分のリズム、自分の好み、自分の…こだわり。
そんな「自分」にしか合わないものに気づき始めたのはいつだったろう?

今回は「自分にちょうどよい、自分の身体の大きさ」のお話です。
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長田弘の詩
2018/04/08
戻れない場所があることを知る〜長田弘の詩「あのときかもしれない 四」  
海を眺めていて、遠くに見える水平線に近づこうとして、一歩でも二歩でも海に向かって歩き出したならば、
厳密な意味で、近づいてから見る水平線は近づく前に見ていた水平線とはまた違うものになっていて。
…地球は「球形」なので。

見えているのに、決して辿り着けない。
それが限りなく淋しかった。

あるいは、夕暮れの時間。
日が沈んだあとの、赤く染まった空の領域が少しずつ少しずつ狭まって。
そしてずんずんと紺色の領域が上から下りてきて。

はっと気づいたら、真っ暗闇の中に、私はひとり取り残されていて。
そしてそれも限りなく淋しかった。

私の帰る場所(ところ)はどこ?

いつの頃からかそう思っていた。
「遠くに行く」もなにも、…そもそも私には「起点」の感覚がなかった。
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長田弘の詩
2018/04/06
遊びを失う〜長田弘の詩「あのときかもしれない 三」〜  
「鶴瓶の家族に乾杯」という番組が母は好きで、毎週欠かさず観ています。
「つるべさん、あの人、路地が好きなんや」と教えてくれます。
「私もそうよ。」と言うと、「へえ〜?」と言ってきます。
「なんで、そんなとこ、好きなん?」

私はしばらく考えます。
「狭い道の…その先に、何が広がっているか、ワクワクするから。」

そんなやり取りをしていたら、ちょうど「三」は道の話です。
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長田弘の詩
2018/04/04
ゼロから始める〜長田弘の詩「あのときかもしれない 二」〜  
前回は「あのときかもしれない 一」を取り上げて、「あのときかもしれない」の一から九が、どんな仕組みになっているのかを見通しました。
その中で「気がついてみたら、おとなになっていた。」という表現に、ちょっと「引っかかり」を感じました。
…ひょっとすると、フォーカシングの池見陽さんが言われるところの、「推進された“だった”(Carried foward “was”)」なのではないか? と。

体験過程で、過去がクリエイトされる(創り出される)、今の気づきが過去を変えるということ。

ああ、そうだったんだ…と、過去の持つ意味が変わる、という「Carried foward “was”」。

まあ、それはさておいて、今回は、次の「二」を取り上げたいと思います。
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長田弘の詩
2018/04/03
インナー・トリップへの誘(いざな)い〜長田弘の詩「あのときかもしれない 一」〜  
長田弘の詩「あのときかもしれない」は、「一」から「九」まである長編だったのだと知ったのは、この前、「七」を取り上げた時でした。
不覚にも、…いえ、大昔に「読書への誘い」第81号を作ったときには、「あ…」と思ったのかもしれませんが、それから後、失念していたのです。

いえ、違いますね。「あのときかもしれない」として「あのときかもしれない 七」としなかったのだから、その時もちゃんと理解できていないですね。
そうなんだ、「七」なんだ!と知って、今回、タイトルにちゃんと「七」を付けたのですから。

それで、改めて「一」を読むと…、ああ、これはきちんと全部を読まないと、という気になりました。

そして、「一」から順に読んでいって、私の内(なか)で、どんなことが想起するのか、それを見たくなりました。
もし、良かったら、おつきあいください。
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