朝、いつもより少し遅く目覚めて『深呼吸の必要』を開く。
パラパラとページをめくって。
「影法師」と題された詩に目を止める。
夕方の、子どもたちのキャアキャアいう声が聞こえる。
少し長くなった影を追い掛ける姿、をその中に見る。
…誰の記憶? 子どもの頃の自分の遠い記憶?
いや、それは定かでなく。
…単に、脳が見せるイメージ、であるだけかもしれない。
「影法師」 長田弘
影を踏む遊びがあった。たそがれから夜に
かけての子どもの遊びだった。二人ないし三
人で、あらそって、たがいの影を踏む。頭の
影を踏まれたら、負けだ。日の落ちぎわは、
影が長い。長い影は、塀に折れてうつるよう
にしなければ、だめだ。街灯がついたら、誰
も負けない。いざとなったら、街灯の真下に
逃げる。影が足もとに跳んできて、さっと消
える。
たがいに追いかけながら、逃げながら、自
分の影を確かめながら、影法師を長く短くし
ながら、騒ぎながら、「さよなら、またね」
と叫んで、家に駆けこむまでの、たのしい路
地の遊びだった。いまはみなくなった子ども
の遊びだ。きみはおもいだしてふと、ドキリ
とすることがある。ひょっとしたら子どもた
ちは、今日どこかに自分の影法師を失くして
しまったのだろうか、と。