長田弘の詩「あのときかもしれない」がシリーズになっていると気づき、「一」から読み始めてすぐに、ゆっくりと、自分の内に何が想起するのかを見たくなりました。
それで、順番に取り上げていく、ことを思いついたのだけど。
そのときはまだ、どこに帰着するのかなど見当もつきませんでした。
けれど「七」を打ち込んだとき、父とのことが思い起こされて、ちょっと書くことを逡巡しました。
それで、「七」を書いてから「八」を書くまでに、時間が空いています。
どの回も、いつものコラムと違って、倍以上の時間…書き出してから書き終わるまで2時間余り掛かっているのですが、「八」は途中で涙が止まらなくなって、泣きながら書きました。
そのときに、「ああ、九は、父が亡くなったときのことだな」と気づきました。
これも逡巡してしまって、書き始めるまで少し時間が空きました。
「九」は、書き上げるのに2日掛かりました。
2時間半×2=5時間。
いえ、言葉を紡ぎ出すのに時間が掛かったわけではないのです。
気づいたら、ぼんやりと、私は、過去のその時間にトリップしていたのでした。