池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。
「クリアリング・ア・スペース」
・6つのステップはどんなものか、というのがここに出ているが、ここでジェンドリンの「体験過程理論」で扱っているのは2番目の「フェルトセンス」以降。そこに、「言葉にならない体験」を「フェルトセンス」として、それを表現する言葉を「ハンドル表現」として、一体それは何を伝えているんだろう、何を必要としているんだろう、この感じには何があるだろう、とかそういうことを考えていく、というサイクルがある。これがフォーカシングの中心部分。
・ジェンドリンはどこからか「クリアリング・ア・スペース」という一番目のステップを持ってきた。これは非常に不思議。不思議というのは、本を書く前に論文で発表していることが一般的(そして2から先の「体験過程」のプロセスはたくさん論文がある)。「クリアリング・ア・スペース」については何の論文もなく、いきなり本に登場する。
・しかも、読んでいると、(これは)かなりこなれているやり方。
・ここはフォーカシングの本体部分と異色であって、たとえばフォーカシング指導者のアン・ワイザー・コーネルは、1番目は削除して、本体部分とあまりに違うから、ということでやらない。
・これは一体何かというと、セッションを始める前に、今自分はどんなことが気になっているのか、今どんなことを感じているのか、たとえば、面接に来たクライエントが、話したい話題があって来ているが、来る途中で電車に遅れたことでドキドキしている、そして1日のスケジュールが狂ったことにイライラしている、そういう気持ちを持って来てしまっているので、ちょっとイライラを横に置いといて、その他にどんな気持ちがあるのか、一旦、前に並べて、それらからちょっと距離を置いて、そこから一つ気がかりを選んで進んでいきましょう、とこういうようなステップ。
・おそらくこれは現象学の「エポケー」みたいな意味があるんだろうと思うが、しかし、理論の説明はなく「クリアリング・ア・スペース」が紹介されている。
・日本にこれが入って来たときに、ここが一番、日本人には分かりやすかった部分がある。
「つっつん、久しぶりだね。」そんな会話から始まって。
つい1週間前に、ももちゃん(百武正嗣氏)の「夢のワーク」を受けに心斎橋まで行ったこと。
リアルのワークは久しぶりで、なんだかとても嬉しかったこと、を話した。
ゲシュタルトのベーシックコースのときには、毎回ファシリテーターが異なることが新鮮で嬉しかった。
でも、2年目のアドバンスコースでは、ファシリによって「この人は受けたいけど、この人は…」という違いが出てきた。
それで、3年目に「再受講」は考えなくて、その後の3年は単発ワークで来たこと。
コースを終えてからもう3年が経って、1週間前のももちゃんワークで、「ここで終了」という「ワークの終わり」が見えた。
それで、今年の11月から始まるゲシュタルトのコース再受講を決めたのは、タイミング的に間違ってなかった気がした。
…たぶん、次のステップが必要な時期、のような気がしたから。
つっつんに「不遜だと思うんだけどね、」と前置きして。
「年齢で全て決まるわけではないんだけど、でもなんというか…私より人生経験が浅い人の前に座っても、何か、わかってもらえない気がして。
それで、ね。この人のファシリは受けたいけど、この人はそれほどでも、が出てきた。
そういった人生経験の深さによる峻別はある意味、避けようもない気がするのだけれど、でもね、ここに至って、『もしファシリに、(ワーカーに比べ)そういった人生経験の深さがない場合でもワークが成り立つとしたら、それはどういったことが要因なのだろう?』が気になって。」
私は、つっつんにわかってもらえるかどうか、少し危ぶみながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「思い上がり」と受け取られかねないことを、そうなってほしくない一心で。
「うん、わかるよ。」とつっつんは応える。
その応答で、無理なく彼が「分かって」くれているのを感じる。
…これは何だろう…。掛け値なしにそういったことは瞬時に「分かって」しまう、ということは。
怖いぐらい、人は「感じとる」ものなんだ…と思う。
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