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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

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フォーカシング
2022/04/04
私のフォーカシング・レッスン(4)〜「念」は今の下に心と書く〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈3〉  
池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。

「スペース」が鍵
・今からお話しすることも、今日の「エイジアン・フォーカシング」の中にも、この「スペース」というところがとても大事になってくる。
・「クリアリング・ア・スペース」。それは以前、僕が「間を置く」と訳して、でも関東では「心の空間づくり」と訳していて、日本国内で違う訳があってややこしいので、最近はもうカタカナで「クリアリング・ア・スペース」と言っている。
・心の中は散らかった部屋みたいだと思ってみて、いろんな「気がかり」があるので、それをひとつずつどこかに置いておく。そうすると、ちょっと心の中の部屋が広くなった、と。スッキリしたとか、そういう状態になっていく。
・一度、高野山に行って、高野山の僧侶と仲良くなって話していたら、「悟りを開きたい人は、まず部屋を片付けなさい。」みたいなことを言う。部屋を片付けると、部屋の中が広くなって、スッキリするでしょう、と。それが大事なんだ。だから手始めに部屋を片付けなさい、と。
・僕、聞いていてもう、本当に同感で、ただ、僕らは心の中の部屋を片付ける。いろいろ散らかった部屋があるので、それを一つずつ置いていくように整理していく、と思って、そんなふうに「クリアリング・ア・スペース」をやるんですけれど、タイに行って帰ってきた時に、『アップデートする仏教』という本が出ていると、僧侶の人に教えて貰って、それでこれを読んでみて「これは面白いな。藤田一照さんと山下良道さん、ここに書いてあることは、まさにフォーカシングと同じことになるよね。」と。
・要点は何かというと、「いったい誰が瞑想しているのか」そこがポイント。瞑想しようとか、悟りを開こうとか、思いすぎてそれができない、という実態が書いてある。それはそう。フォーカシングしようと頑張り過ぎるとフォーカシングにならない。それから「空間づくり」をしようと思い過ぎたらできないとか。部屋を綺麗に片付けようと思い過ぎたら、頑張り過ぎたら全然片付かないとか。そういうことがある。

なんか。自分の部屋が散らかっているのは、自分の状態が散らかっている証拠。だから、自分の心を整えようと思うとまず自分の部屋を片付けなさい。
そういうふうに聞いたことあります。なんとなく、そうだろうなと思った記憶があるけれど。
今回私は「僕らは心の中の部屋を片付ける。」という言葉に立ち止まった。
なんというか…確かにカウンセリングというのは、とっ散らかった心の中のものを、ひとつひとつ丁寧に拾い上げて、収めるべき場所に収める作業。
収まりきらないものは、どうしたら「今の居心地悪い状態」を少しでもマシにできるのか、を考えていく営みのような気がする。

続き
フォーカシング
2022/04/01
私のフォーカシング・レッスン(4)〜可能性としての「クリアリング・ア・スペース」〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈2〉  

池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。

 

 

「クリアリング・ア・スペース」

・6つのステップはどんなものか、というのがここに出ているが、ここでジェンドリンの「体験過程理論」で扱っているのは2番目の「フェルトセンス」以降。そこに、「言葉にならない体験」を「フェルトセンス」として、それを表現する言葉を「ハンドル表現」として、一体それは何を伝えているんだろう、何を必要としているんだろう、この感じには何があるだろう、とかそういうことを考えていく、というサイクルがある。これがフォーカシングの中心部分。

・ジェンドリンはどこからか「クリアリング・ア・スペース」という一番目のステップを持ってきた。これは非常に不思議。不思議というのは、本を書く前に論文で発表していることが一般的(そして2から先の「体験過程」のプロセスはたくさん論文がある)。「クリアリング・ア・スペース」については何の論文もなく、いきなり本に登場する。

・しかも、読んでいると、(これは)かなりこなれているやり方。

・ここはフォーカシングの本体部分と異色であって、たとえばフォーカシング指導者のアン・ワイザー・コーネルは、1番目は削除して、本体部分とあまりに違うから、ということでやらない。

・これは一体何かというと、セッションを始める前に、今自分はどんなことが気になっているのか、今どんなことを感じているのか、たとえば、面接に来たクライエントが、話したい話題があって来ているが、来る途中で電車に遅れたことでドキドキしている、そして1日のスケジュールが狂ったことにイライラしている、そういう気持ちを持って来てしまっているので、ちょっとイライラを横に置いといて、その他にどんな気持ちがあるのか、一旦、前に並べて、それらからちょっと距離を置いて、そこから一つ気がかりを選んで進んでいきましょう、とこういうようなステップ。

・おそらくこれは現象学の「エポケー」みたいな意味があるんだろうと思うが、しかし、理論の説明はなく「クリアリング・ア・スペース」が紹介されている。

・日本にこれが入って来たときに、ここが一番、日本人には分かりやすかった部分がある。

                                                                   
※エポケー…エポケーは現象学の用語で、判断中止の意味。事実についての判断を差し控え、事実をあるがままに受け入れることをいう。フッサールママ)世界がそれ自体で実在するという日常的な自然的態度を反省し、世界の実在についての判断を括弧に入れて停止し、自我の純粋な意識の領域を取り出す方法論。
古代の懐疑主義者ピュロンは、ものごとを見あやまる誤謬の根源は「・・・である」と断定してしまう判断(エポケー)にあり、人間の心の動揺もそこから生まれてくると考えた。誤謬を避けて心の平静を保つためには、何ごとについても判断をさしひかえなければならない。ピュロンは「いかに生きるべきか」という意味合いが強かったが、フッサールはここから着想を得た。
フッサールはピュロンの懐疑論を借りて現象学的考察の基本方法においた。日常生活において自明なことのように思われている事実も誤謬が生まれるかもしれない。フッサールは、世界とその中にある存在者は、自分の経験にかかわりなく、それ自体で存在しているということでさえ、あえて反省の目を向け、エポケー(判断中止)することから、その思索を始めた。
フッサールは、事実を無批判に断定してしまう態度を自然的態度とよぶ。日常生活において暗黙のうちに前提されているこの態度を主題化し、哲学的な反省を加えるためには、自然的態度をいったん留保して、そこから距離をとらねばならない。このような意図のために方法上の手続きとして現象学的エポケーを用いた。 (Hitopediahttps://hitopedia.net › 人文科学)
 
続き
フォーカシング
2022/04/01
私のフォーカシング・レッスン(4)〜フォーカシングとは言葉にしていく過程での意味の形成〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈1〉  
2022年3月19日。オンラインでのセミナー。
セミナーがあることに気づくのが遅くて、申し込みがギリギリになったこともあって、ろくに案内も読まずに申し込んだものだから。
…「エイジアン・フォーカシング」って何? ということも理解しないままで。
勝手に「age」(年齢)に関係するのかな? なんてぼんやり考えていただけで、セミナー当日を迎えてしまった。

今回、「Asian Focusing  Methods」と池見先生の命名されたものについて、話された言葉を拾っていきます。(小見出しは私がつけたもの)

続き
フォーカシング
2021/11/05
私のフォーカシング・レッスン Act2〜筒井優介さんとのフォーカシング(1)〜  
今年の5月の末、ゲシュタルト仲間の筒井優介さんの「しまんちゅルーム」にフォーカシングの個人セッションを申し込んで。
でも、「緊急事態宣言」下だったので、「また、落ち着いてから連絡します」とのことで。
そして、11月3日ぐらいはどうでしょう?との打診が来て。

そんなこんなで、引っ越して1ヶ月余り経った我が家に来てもらいました。

「つっつん、久しぶりだね。」そんな会話から始まって。

つい1週間前に、ももちゃん(百武正嗣氏)の「夢のワーク」を受けに心斎橋まで行ったこと。

リアルのワークは久しぶりで、なんだかとても嬉しかったこと、を話した。

 

ゲシュタルトのベーシックコースのときには、毎回ファシリテーターが異なることが新鮮で嬉しかった。

でも、2年目のアドバンスコースでは、ファシリによって「この人は受けたいけど、この人は…」という違いが出てきた。

それで、3年目に「再受講」は考えなくて、その後の3年は単発ワークで来たこと。

 

コースを終えてからもう3年が経って、1週間前のももちゃんワークで、「ここで終了」という「ワークの終わり」が見えた。

それで、今年の11月から始まるゲシュタルトのコース再受講を決めたのは、タイミング的に間違ってなかった気がした。

…たぶん、次のステップが必要な時期、のような気がしたから。

 

つっつんに「不遜だと思うんだけどね、」と前置きして。

「年齢で全て決まるわけではないんだけど、でもなんというか…私より人生経験が浅い人の前に座っても、何か、わかってもらえない気がして。

それで、ね。この人のファシリは受けたいけど、この人はそれほどでも、が出てきた。

そういった人生経験の深さによる峻別はある意味、避けようもない気がするのだけれど、でもね、ここに至って、『もしファシリに、(ワーカーに比べ)そういった人生経験の深さがない場合でもワークが成り立つとしたら、それはどういったことが要因なのだろう?』が気になって。」

 

私は、つっつんにわかってもらえるかどうか、少し危ぶみながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「思い上がり」と受け取られかねないことを、そうなってほしくない一心で。

 

「うん、わかるよ。」とつっつんは応える。

その応答で、無理なく彼が「分かって」くれているのを感じる。

…これは何だろう…。掛け値なしにそういったことは瞬時に「分かって」しまう、ということは。

怖いぐらい、人は「感じとる」ものなんだ…と思う。


「フォーカシングはゲシュタルトと違って、『できごと』をそれほど語らないで進んでいく気がしているのだけれど、そういったアプローチで、今の私のモヤモヤ感がどこまで整理できるのかが知りたくて。」
そう言った私につっつんは「了解!」と応えた。

続き
フォーカシング
2020/10/26
「アニマル・クロッシング」をやってみる〜「名古屋ゲシュタルト研究会第六回Zoomミーティング(エクササイズ編)」〜  
昨日は、名古屋ゲシュタルト研究会のズームミーティングに参加して、
フォーカシングの「アニマル・クロッシング」を3人1組でやりました。
その振り返りをしておきたいと思います。

集まりは、ゲシュタルト仲間で行うものだったので、
フォーカシングにそれほど精通した人はいない、というところからか、
3人1組でやって行って。
ひとりのフォーカサーに対して、ひとりが主に質問して行くのだけれど、
もうひとりがサブで質問していく、形。

面白いなあと思いました。
こんな自在な形もいいなあ、と。

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