仏教の基礎知識がない私は、言葉のひとつひとつに、立ち止まる。
そんな私に、慈照尼は、とても丁寧な説明をしてくださる。
私の取り柄は「知ったかぶりをしない」ことなので、ありがたく、基本のキから始めていただく。
「空」とは、名詞ではなく動詞。「空ずる」こと。
「空ずること」がわかる方法が「坐禅」。その最中に「体感する」こと。
「入定(にゅうじょう)」とは「坐禅に入る」こと。
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)のうちの五根(眼・耳・鼻・舌・身)が、内向くので、情報が入らない。
「意」を動かしてはいけない。
観察してはいけない。
ポーンと坐る。
最終的に「内向きの自分」を意識しない。これが「空」。
そこに坐っていることも、そこに居ることも、ない。
自分の存在がない。
これが「空をつかむ」「空性(くうしょう)をつかむ」こと。