2月の末に慈照尼のところの「大楽庵」を訪れたのち、私の不調は始まって。
まるで、コロナ禍の始まりと符合するかのように。
私の不調は1ヶ月ほどで収まったのだけど、世の中は、どんどんコロナが蔓延し。
そのまま、自宅でどこへも行かない日々、となったのでした。
先月久しぶりに「大楽庵」を訪れたものの、…密かにティク・ナット・ハン師の『般若心経』のテキストも持って行ってたのに、
なんとなく、久しぶりの「逢瀬」に二人のおしゃべりは止まらず、お勉強どころではなくなったのでした。
その1ヶ月後の先日も、まだ、エンジンが掛からない、感じではあったのですが、
さすがにちょっと、と思い、ウオーミングアップに、これまでのところを、テキストを通し読みすることにしました。
(読み方が不明だったところもあり、音読してよかった、と思いました。)
ピーター・レヴィットさんの「はじめに」を読む。
「般若心経はブッダの教えの真髄である。」(p 12 l1)
「アメリカの仏教の真の顔」(p12 l 13)
「本書を読まれる方が明確に智慧の真髄に合流できるよう、こんな提案をしたい」(p 14 l14)
「親しむということは、本書に収められた教えの心臓の部分である」(p 15 l 10)
ブロック体にした語が、同じ語の訳を違えているのか、そうでないのか。ちょっと知りたいね、というご指摘がありました。
こういう精密さ、こういう、言葉に対する感覚が好きだなあ、と思いました。