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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
  3. 長田弘の詩
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
長田弘の詩
2018/04/06
遊びを失う〜長田弘の詩「あのときかもしれない 三」〜  
「鶴瓶の家族に乾杯」という番組が母は好きで、毎週欠かさず観ています。
「つるべさん、あの人、路地が好きなんや」と教えてくれます。
「私もそうよ。」と言うと、「へえ〜?」と言ってきます。
「なんで、そんなとこ、好きなん?」

私はしばらく考えます。
「狭い道の…その先に、何が広がっているか、ワクワクするから。」

そんなやり取りをしていたら、ちょうど「三」は道の話です。
続き
長田弘の詩
2018/04/04
ゼロから始める〜長田弘の詩「あのときかもしれない 二」〜  
前回は「あのときかもしれない 一」を取り上げて、「あのときかもしれない」の一から九が、どんな仕組みになっているのかを見通しました。
その中で「気がついてみたら、おとなになっていた。」という表現に、ちょっと「引っかかり」を感じました。
…ひょっとすると、フォーカシングの池見陽さんが言われるところの、「推進された“だった”(Carried foward “was”)」なのではないか? と。

体験過程で、過去がクリエイトされる(創り出される)、今の気づきが過去を変えるということ。

ああ、そうだったんだ…と、過去の持つ意味が変わる、という「Carried foward “was”」。

まあ、それはさておいて、今回は、次の「二」を取り上げたいと思います。
続き
長田弘の詩
2018/04/03
インナー・トリップへの誘(いざな)い〜長田弘の詩「あのときかもしれない 一」〜  
長田弘の詩「あのときかもしれない」は、「一」から「九」まである長編だったのだと知ったのは、この前、「七」を取り上げた時でした。
不覚にも、…いえ、大昔に「読書への誘い」第81号を作ったときには、「あ…」と思ったのかもしれませんが、それから後、失念していたのです。

いえ、違いますね。「あのときかもしれない」として「あのときかもしれない 七」としなかったのだから、その時もちゃんと理解できていないですね。
そうなんだ、「七」なんだ!と知って、今回、タイトルにちゃんと「七」を付けたのですから。

それで、改めて「一」を読むと…、ああ、これはきちんと全部を読まないと、という気になりました。

そして、「一」から順に読んでいって、私の内(なか)で、どんなことが想起するのか、それを見たくなりました。
もし、良かったら、おつきあいください。
続き
長田弘の詩
2018/03/30
ひとを「並列的」に好きになる〜長田弘の詩「あのときかもしれない 七」〜  
今日は、「読書への誘い」第81号で紹介してから、ずっと気になっている長田弘の詩「あのときかもしれない」を取り上げたいと思います。


 「あのときかもしれない 七」              長田 弘



 一つの電池に、豆電球を一つ付ける。それからもう一つ、豆電球を繋(つな)ぐ。そのとき、二つの豆電球をならべて直列に繋ぐと、それぞれの豆電球の明るさはぐっと弱まってしまう。けれども、二つの豆電球を二段にわけて並列に繋ぐと、二つの豆電球のどちらの明るさも、一つの電池に豆電球を一つだけ繋いだときとすこしも変わらないのだ。

 

 直列式と並列式のそのちがいを、きみはいまでもよくおぼえている。それには理由がある。きみがはじめて女の子からもらった手紙に、そのことが書いてあったからだ。それは、直列式と並列式のちがいを、はじめて学校でならったころのことだった。

 

 毎日学校で顔をあわせても、そのころはもう、男の子と女の子とはめったに口をきくことがなかった。ほんとうは話をしたり、笑ったりしたいのに、きみたちは素直にそうすることができなかった。男の子と女の子がたがいのちがいに気づきはじめると、おたがいを繋ぐ自然な言葉が、急に失(な)くなってしまう。で、きみたちはよく手紙を書いた。

 

 けれど、手紙のなかでさえ、わざわざ難しい言葉を探してきては、四角四面な言葉を、きみたちはつかった。たとえば、「ぼくはきみに関心がある」と男の子が書けば、それは「ぼくはきみが好きだ」という意味だった。そして女の子が、「かれはわたしのことを意識してるんだわ」と言えば、それは「かれはわたしを好きなんだわ」ということなのだった。

 

 「好きだ」というただそれだけの言葉を、きみたちはどうしても言えない。「好きだ」と言いたいのだが、もし「好きだから、どうなんだ」と言われればそれまでだと、きみたちは知っていた。つまり、きみたちは、たがいにちがう人間がたがいのちがいを共にするということの難しさを、ようやく知りはじめていた。

 

 そんなとき、きみは好きな女の子にはじめて手紙を書いて、返事をもらったのだった。「お手紙ありがとう」。女の子は書いてきた。「きみがわたしのことを意識してるなんて知らなかったわ。でも、無駄よ。わたしは直列式の友情は信じないわ。わたしの信じるのは、並列式の友情だけよ。さよなら」。その手紙をもらったとき、きみはあわてて理科の教科書をひろげて、復習しなければならなかった。きみは理科は不得意だった。

 

 きみは二どと、女の子に手紙を書かなかった。復習しないとわからない返事をもらうなんて、懲り懲りだ。だが、おおきくなってからも、きみはそのときの女の子の返事の言葉を忘れることはできなかった。きみはいまでは、二人のちがう人間がたがいの明るさを弱めることなく、おなじ明るさのままで一緒にいるということがどんなに難しいことかを、よく知っている。


 そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。ひとを直列的にでなく、並列的に好きになるということが、どんなに難しいことかを、きみがほんとうに知ったとき。                  (詩集『深呼吸の必要』晶文社・1984年刊)
続き
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