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  1. コラム
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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
ゲシュタルト療法
2017/05/04
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(5)  
2日目の、ワークに入る前にマイクが行なった質問受け付けの内容は前回紹介しましたが、質問の合間に、マイクが「一人語り」のように話した内容を記しておきたいと思います。

私の興味の1つが「若い人たちの健康」。博士号(論文)が「心療内科系の医学ー思春期の家族関係ー」だった。家族関係のどのような点が思春期の子どもに良い影響を与えているのか、あるいは悪い影響を与えているのか。奨学金を貰って、世界中のセンターを訪れた。そのうちの1つがロサンゼルスの○○病院。(※聞き取れませんでした)思春期の子どもたちの病院をディック・マッケンジーと一緒に歩いて見回っていた。

「大人が思っている問題って、若い人には解決法だったりする」私はその言葉を自分のセラピーに取り入れた。だから、「最初は問題だと思えるものが、解決法であるかもしれない」と考えてみる。

2日目のワーク直前のマイクの言葉。
「図が浮上してプロセスが展開します。クライエントがいて、私がいて、プロセスが展開する様子を味わってください。それがあなたの学習をサポートします」

2日目の最初のワークの後のマイクの言葉。
「癒しは出会いによって起こる。癒しはゲシュタルトの形成のプロセスを完結させることをいう。ゲシュタルトセラピーにおいて、中核(コア)となるのは、接触によって起こる」

この後「gestalt  formation process」についての説明が行われました。(②は『ゲシュタルト  トレーニングコース  テキスト』p.19の「気づきのサイクル(経験のサイクル)」として、トレーニングコース生には馴染みのあるものです)

① clesine → need → (※不明)-ment →calm
② sensation(感覚) → awareness(気づき<図形成>) → movilization(行動に移そうとする) → action(取りに行く) → part contact(水を取る) →suggestion(1997〜),assimilation(2005〜)(水を飲む)→withdrawal(引きこもり・うるおう)
(※( )内は「人が水を飲みたくなるプロセス」として、テキストでは説明されている)

① 図がなくなって、背景と化する
② 図が固まって、そこに居続けたら、次の瞬間、次の瞬間、と移行していく

「水を飲む」という段階の表現が「suggestion」から「assimilation」に変わった、ということでした。マイクからはそのことについての説明が特にありませんでした。「示唆・提案」から「同化・吸収」に変わった理由を聞けば良かったと、今、思っています。

「セラピストはコンタクトしている間、とても注意を払う」
「どこかで途切れたりすると…『何か言いたいけど、何と言っていいかわからない」とか「感覚はあるけど、どう言っていいのかわからない」というのが途切れの例」
「途切れがあることに気づき、口に出して行動に移すと終えることができる。それが明らかなこと。でも明らかでないこともある。話から話へ紡いでいく、それはつながりたいのに、ありのままの自分で居たいのに、別のストーリーが浮かんでしまう(状態)。」

午後から2つ目のワークが始まり、その後のマイクの言葉。
「人にとっての本当の困難というのはバランスを確立すること。で、それは時間が経つと変化する」
「子どもにとっては環境からのサポートが重要。それに対しての時間割はない。10歳までには、とか20歳までには、とかの。いくつになっても環境からのサポートは必要」

「自分にできるサポートは、自分の足で立つこと。何にも頼らないで、自分で。30歳でも80歳でも何かにもたれかかることで得られるサポートは、勿論ある。あなたは自分自身をサポート(受け入れて)していますか?」
「バランスを見つけること。周囲から自分はどれだけもらっているかということ。それによって自分という人間を定義すること。ゲシュタルトは周囲からのサポートと自分からのサポートとのバランスを大切にしてきました」

「(このワークをしたBについては)こういう愛は好きじゃない、と言えること。大事なのは彼女が自分で言えるということ。そこがポイントだった。私の観測を彼女が受け入れたのがターニングポイント」
「私は環境に過ぎない。私がBに何か言ったのは、きっかけに過ぎない。私はBがすでに知っていることを、思い出させるために言ったに過ぎない」

 「movilization →action のところで 行き詰まりがあった」
「サポートがあればできる。Bは、ハグでもなく握手でもなく、ちょこっと優しく、指を合わせることを選んだ。繊細で優しいのは彼女。それが十分だったらありがとうで終わる。それが足りなかったから、もう一方の手を出した。そして指を組んだ。」
「すべての動きはメッセージを担っている」

「自分が自分でいるって、なかなか大変。でも、楽しくやらしてもらっています」

午後からのワークはあと2つあったのですが、メモを取ることより味わうことを選んだので、記録はありません。
メモを取ると、確かに後で振り返りができるのですが、どうしても、その場で「味わう」ことが十分でなくなります。そういうジレンマにいつも苛まれます。私はだいたい、メモを取るのと取らないのと半々ぐらいにするのですが、さてそれもいいか悪いかわかりません。

メモの取り方も、出来るだけその人の息遣いが残るように、その人の言葉を移すように書き留めるのですが、そうすると、時間がかかって全部は書き取れないこと多いです。…それはいいことにしています。必要なところだけが残るのだと思えば。

濃密な二日間でした。また来年お会いしたいです。(そのように言った人が何人もいました!)

画像は最後に撮った写真。GNKのトレーニング仲間であるごおちゃんも一緒に入ってもらいました。マイクのカラフルなソックスに注目‼

ゲシュタルト療法
2017/05/03
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(4)  
2日目のワーク内容に入る前に、前回の補足を少し。

「マイクはAさんをどのように見ていましたか?」という問いに対して、「Aが自分を見る目とは違った目で見ていた。『客観的』ではなく、『違う視点』で」という答えに対して。

 

昨年の時点だったら、おそらく私は「客観的」と「本人が自分を見る目とは違う視点」の違いがわからなかったと思います。マイクにとって「客観的」とは、自分を相手に介在させないで見ている見方、相手とはキョリを置いて「観察」しているような見方、なのではないかと私は感じています。

 

それに対して、「違う視点」とは、相手の痛み、悲しみを受け止める「関わり」を持ちながら、けれど、その「痛み」「悲しみ」の出どころとは異なる相手の在りようの可能性に視点を当てる、在り方なのではないかと。…う〜ん、説明が難しいですか?

 

Aさんは、○○という見方を自分に対して、していた。そこから「悲しみ」も「苦しみ」も生じていた。それに対してマイクは、Aさんの「悲しみ」「苦しみ」を受け止めながら、△△という見方を示し、そうすると、Aさんにどんな気づきが生まれるかを共にその場にいて待っていた、という方がわかりやすいでしょうか?

 

その時「間主観性」ということが少し分かった気がしたのです。相手との「関わり」を感じさせない「客観的」とは異なる在り方としての「間主観性」。…この場合、「待つ」というのがとても大切です。Aさんのペースで「待つ」ということ。

 

さて、2日目。

 

ワークに入る前の「チェックイン」で、「行動は『図』、意識は『地』。タイムラグがあるから、無理に行動を変えていかなくても良いという気になった」との発言に対して、マイクはこのように応じました。

 

「行動のみならず、味わってみる、体験する(ことが大切)。あっという間にさっさと終わるのではなく、だからといってやり直せと言っているわけではないですよ。何かをする時の時間のかけ方を自分で意識すること。おそらくは、何かを素早くやってしまうと、味わうことから遠ざかる」

 

「『時間をかける』と『時間を無駄にする』とは違う」

 

次に、前日のワークを終えての質問の受付がありました。

 

1 「ゲシュタルトって何?」という問いにマイクなら何と答えますか?  


ゲシュタルトというのは、「セラピーへのアプローチ」であり、「癒しへのアプローチ」でもあり、「人間としての成長へのアプローチ」である。中には人生そのものという人もいます。

 

ゲシュタルトは意識を高めるために注意を払うこと、注意を払うのは、人と人との間に起こっていること。そしてそれぞれの人が、それぞれの世界を持っていて意味付けしている。そのことが成長を助ける、あるいは阻止してしまう。いずれにせよ、ゲシュタルトは二人の人間同士の間に起こっていることに注意を払う。

 

ゲシュタルトはプロセスに焦点を当てている。そのプロセスはゲシュタルトの形においての「完結」することに焦点を当てている。ゲシュタルトセラピーでは、「解決」に縛られていない。「完結」とはプロセス。

 

(「癒し」と「セラピー」がどう違うのか? という追加質問を受けて)

マルティン・ブーバーの哲学に基づいている。「出会いによって癒す」「癒しは出会いによって生まれる」。セラピーは「完結」すること。

 

世界を創り上げるということの基本的な概念(fandamental concept)は、「図」と「地」、そこで新しい「図」が生まれるということ。(人に)興味を持てば持つほど、あなたの人への接し方は固定概念から解放される。そうすると、可能性が広がる。それはあなたのニーズが満たされることでもある。

 

2 どうして「ゲシュタルト・セラピー」は「ゲシュタルト・サイコセラピー」と言わないのか?

 

ゲシュタルトが個人だけに適応するのでなく、夫婦、家族、グループ、組織…に適応するものだから。(※少し分かりづらいのですが、マイクの捉えは、個 or 集団というもののようです)

 

3  昨日のワークで、「不安を持っていることに対してリスペクトする(認める)と言われたのに対して、半分は理解できた。不安を持つことで成長できることは理解しているが、しかし不安を感じると、「今、ここ」にいられなくなるのではないか?

 

それはそうだと思いますよ。未来に意識が行く、(それは)未来において役に立つかもしれない。(けれど私は)「あなたの不安」があなたの思うほど役に立っているか、疑問だと感じた。あなたの不安はあなたが現在に留まることを阻止している。それはなぜだろう? 

「不安」は私たちが世界を創ることの要因となっている。私が言っているのは、あなたが「今、ここ」にいることに不安を覚えるということ。(※「不安を感じる」から、「今、ここ」にいられなくなる、ではなく、「『今、ここ』にいることに不安を感じている」ということか?)

 

今日でまとめ終了と思っていましたが、長くなりましたので、続きは次回。

 

画像は、昨日の朝の杏樹(アンジー)との散歩で見つけた、ハナミズキの蕾。こんな風にして花びらが開くのですね。…知らなかった。

 

 


ゲシュタルト療法
2017/05/02
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(3)  
初日の続きをもう少し。
理論説明のあと、補足説明がありました。(「質問は?」と言われたのですが、しばらく誰も質問しなかったので、マイク自身が言葉を紡ぎました。)

「私が5歳のとき。世界の中で、こんな風にしたらうまくいく、というやり方を身につけた。大人になって5歳のときと同じやり方でやったらうまくいかなかっただろう。でも一部の人は一旦身につけたやり方にこだわる。新しいやり方がわからなくて、しばらく同じ癖、習慣でやるが、同じようにはうまくいかない」

「人それぞれである、そのプロセスに、私たちがどう向き合うか、なのです。それが異なるのをみるとワクワクします」

(マイクがひとりひとりに「何に興味があるか」を尋ねたときに、「自分が感じる怖さ」について話し始めて、泣いた人に向かって)
「私はあなたに付き添うつもりがありますから。あなたが、その怖さに向き合おうとするとき」
「私は勝手に、あなたの涙は悲しみばかりだと決めつけるつもりはありません。喜びの涙かもしれないから。それとも、誰か自分の怖さに付き添ってくれる人がいるという安心かもしれません。わかりません。」

ここで、ワークの前の「チェックイン」について、質問がありました。「チェックインは必ずするのか?」

「状況による。札幌(でのワークショップ)では、人が多すぎてやらなかった。(※30名を超えていたそう)ここだとできるし、私は皆さんが何に興味を持っているかを知りたかったので、そうした。それがチェックインと呼ばれるものなら、そう」
「でも、わざわざ『チェックイン』と呼ばなくてもいい。『チェックインしましょう』というと初めての人は途惑う。それよりは『あなたの興味のあることは?』といった方が抵抗感が少ない」

続いて「チェックインには形があるのか?」という質問に対して。

「だから、状況によると言えるんですね。礼儀がどうとか、下手すると形式張ってしまうという害が出てくる。形式ばらないのがポイント」

「そして、フィールドの形は、(私と皆さんが)だいたい同じキョリであること。平等に、ということです」

「理論をどのように実践に当て込んで展開できるか?  歴史・過去からではなく、『今、ここ』で、浮上するものに注意しましょう」と言われて、ワークが始まりました。

守秘義務があるので詳細は提示できませんが、マイクの言ったことで、心に残ったことだけ書き留めます。
「このキョリでいい?」
「それは存じ上げませんでした。近くなると何が怖いのでしょう?」
「わかります。…ただ、このキョリの問題は、あなたにとって何なのだろうと思ったのです」

「そういう風におっしゃると、人生を描写しているみたい。やりたいのに言えなくて運命に任せた。運命がジャンケンに勝たせてくれたら、それはそれでよい、と。」
「あなたにとって馴染みのある感じ? よくある感じ?」
「あなたの人生と、何かよく似てない?」

「あなたは負けることに慣れてきた。そのことに分かる、と言っているんです。私が悲しくなるのは、あなたは明確に説明しているのに、それを自分でわかっていないということ。」

(マイクは自分に自信がありますか? という、ワークを受けている人からの問いかけに対して)
「自信をつける練習をしていますよ。過去においては、あなたは自分で自信をつけるサポートを得られていなかった。私はあなたをサポートすることで、私の自信を掻き集めているんです。」
「じゃあ、終わらせましょうか? 自分の課題がわかりましたか? 自分の言いたいことを言う練習。ちょうど私とやったように、自分がちゃんと言った時に『あ、今、ちゃんと言ったな』と認識することが大事です」

「立ち上がって握手はどうですか? (それとも)やらなくてもいいんですよ」
「あなたの選択。自分にとってしっくりくる選択をしてください。」
「別に許可は入りませんよ。時間をかけてください。ここにいますからね。」
「あなたは自分で選択しましたね。だから、ちゃんとそのことにも気づいてください。」
 
ここでワークは終了し、質問受け付けです。

1  「マイクはAさんをどのように見ていましたか?」
Aが自分を見る目とは違った目で見ていた。Aは自分をあまり表に出さない。でも今回はちょっと見せることができた。だから「客観的」ではなく、「違う視点で見ていた」ということです。

2  「マイクはワーク中に自分の感情を表現されましたが、それは?」
「悲しかった」というのは自分の自然な感情として出てきた。(「悲しい」と感じても、自分は表現できない、という質問者に対して)そういう風に考えているうちは、思考にあって、感情とつながっていない。次は「体験する」(ことが必要)ですね。
「関係性」からいうと、ある人が表現して(それは、思考からかもしれないが)、セラピストにはそれはない。それは「関係性」と言わない。私にとって大事なのは、そこに関わること。「私にはこういうことが起きています」と伝えること。それが生き生きと関係を築くこと。

Aさんのワークは午後から始まり、次に私のワークとなり、それで初日は終わりました。…こうやってマイクの言葉を拾い上げるだけでも、なんだか暖かいものを感じます。とても丁寧に人を見ていることがうかがえます。そして、とても丁寧に、人に対していらっしゃる。穏やかに。その出発点は「自分に対して正直である」ところから生まれているように思いました。…今、吉野弘の詩「奈々子に」の一節「自分があって、世界がある」がふと浮かびました。

画像は、杏樹(アンジー)との朝の散歩で見つけた、ご近所の庭先のスミレ。…微細な中に真実は宿っているのですね。





ゲシュタルト療法
2017/05/01
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(2)  
一昨日のワークショップで、前回取り上げていなかったところから。
1日目の午前中は、「ゲシュタルト・セラピーの理論」として、5つの特徴を挙げて説明されました。(ところどころ、書き取れなくて抜けているところがあります。参加された方で、ご指摘いただけたら幸いです)

<ゲシュタルト・セラピーの5つの特徴>
1 Health/Wellbeing (健康/幸福)
ゲシュタルト(セラピー)は、病気の治療としてではなく、健康と幸福を高めるために進化した。
今日の実証的なものはある。それは病を治すもの。(※精神医療のことか?)それらは人間の一般的な状態を考慮に入れていない。CBT(※Computer Based Training - コンピューターを利用した学習支援システムのこと。ユーザーの理解度に合わせて、学習の進行状況を調整できるのが特徴。最初はコンピューター1台を使うだけだったが、ネットワークを利用したeラーニングへと発展した)のいくつかのアプローチはうまくいっていないという声がある。実際に精神病患者の数は上がっている。自分たち(※医者?)は持たずにゲシュタルトセラピーが持っているものはなんだろう?と注目し始めた。

2 Orientation to growth (成長への希求)
ゲシュタルト(セラピー)は、人間は自然の状態にあれば成長するという理論を受け入れている。私たちの自然の状態は成長に向かっている。でも、人生で常に成長を支える環境が整っているわけではない。何かのバリア(※障害?)があったりする。そしてそれが私たちの違いとなる。あなたの経験は私の経験ではない。
そして求めるのは成長のための理想的なサポート。自助的なサポートも求める。時間をかけて成長し、環境にばかり求めるのではなく、自助的なサポートにより成長しようとする。

3 Organising principle (構造についての大切なこと)
人生のどこかで死を迎える。人間のみならず生き物全てにこのことが当てはまる。…木だろうと蝶だろうと、どこかで自然な要因によって、成長が止まり、死ぬ。でも、自然の状態では成長に向かっている。子どもがいること自体、自分の成長。あるいは、子どものいない人も。

4 Meaning making (世界は意味づけを持った構造物である)
世界を組み立てて見ている。そして意味づけをする。自分の興味を表明しながら、自分の世界の意味づけに気づいた人もいる。世界をどう経験するか、それが「自分が何者であるか」につながる。それがゲシュタルト。

 5 Relational (関連性)
「私」という人間と私の「環境」について。その環境の中で私は特定の状態に立たされている。それが私という人間を形成する。それは時間を経て、常に変化している。その環境に合わせて、私は常に変化していかねばならない。
ゲシュタルト・セラピーの理論は65年〜70年の歴史がある。
ここ20年で、フロイトの精神分析から発達してきたことも認められた。そのことがゲシュタルトセラピーの「関係性」を受け入れ、発展させることにつながった。
理論の基礎の前提は他と異なる。でも、違う理論の基盤(パラダイム)を持っていて、まるで私が英語で話して皆さんが日本語で答えるかのよう。
2つの概念(コンセプト)。
「人間は原則的には関係性を持っている」という理論を持っている。
ゲシュタルト(セラピー)は、65年70年かけて、科学者たちがここ15年で明らかにしたものを、実証してきた。
他の発見として「マインドフルネス(感情の安定)」がある。あるいは「アタッチメント」とか。でも、わざわざそれを唱えている人がゲシュタルト(セラピスト)にいますか?  取り立てては言わないけど、実証してきたのです。

「4」について。私はこの4月からビジネス系の講座に参加していて、「自己棚卸し」のための質問項目に「30年という時間を与えられえたら、何をしますか。それはなぜですか。」というのがありました。私は「世界中を旅して、いろんな場所から朝日・夕日を見たい」と答えました。その理由として「世界は美しいというのを感じたい」としたのです。それが正直な気持ちだったので。…なんだろう、私はこの世に生まれてきてよかった、と思いたいから、かもしれません。こんな美しい世界に私は生まれてきたんだと思いたいのでしょうね。いろいろ悲しいこと、苦しいことあったけれど。それが私の「世界の意味づけ」なのでしょうね。…そんなことを、講義を受けながらふと思ったりしました。

今日はここまで。続きは次回。

画像は、「世界は美しい」と感じられる、朝の光。朝の杏樹(アンジー)との散歩で撮ったもの。

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