ゲシュタルト療法・百武正嗣さんのワークショップに参加したときに、フッサール現象学がご専門の三村尚彦先生が来られて。
それは、主催者がお呼びした、ということで。
関西大学にお勤めで、フォーカシングの池見陽さんの同僚。
フォーカシング創始者ジェンドリンについて話された言葉を拾っていきます。
・池見先生との関係から、2008年ぐらいからジェンドリンについて調べ始めた。
・ジェンドリンという人は、圧倒的にフォーカシングという業績でアメリカの心理学会からも高く評価されている方だが、ご本人は一貫して「自分は哲学者だ」とかなり強く言っていた、と聞いている。
・実際、彼の業績も、単純に数だけ比べれば、哲学の論文の方が多い。
・多くの人は皆、ジェンドリンのフォーカシング指向心理療法(=フォーカシング)が素晴らしいので、ジェンドリンという人は、著名なロジャース派の心理療法家だという認識をしている。
・僕自身は、彼の哲学が、フォーカシングという業績から切り離しても、十分なポテンシャルとか可能性を持っている、と思っている。
・なかなか哲学の人間は、心理学の人が言っているのだったら哲学の応用だよね、という感じで、あまりその哲学の純粋な理論に関して関心を示さないというところがあるので、僕はそういう意味ではあえて(フォーカシングを)やらない。
・これは結構意図的で、おそらくジェンドリンの哲学について語る人はあまりいないと思うが、(ジェンドリンを語る)大抵の人はフォーカシングをやっている。
・それで、フォーカシングというのは素晴らしいからこういう哲学がある、という感じだが、でも僕はフォーカシングというのは別に特定のカウンセリングや療法でやるものではなく、日常生活の中でいつも身体の感じというものに触れながら、僕らは生きている、という感じ。
・(フォーカシングは)ある意味、非常に日常的な態度。
・哲学というのは、あたりまえとか、それ普通だよねとか、僕らの日常だよね、というのをもう一回問い直して何かに気づくっていうのが哲学だ、というふうに思っている。
その後、ワークについての質問タイムで、私は百武さんに「思考と感情の明確な違い」について質問した。
それは、11月4日の「対話deナイト」で出されたJさんの疑問(=思考と感情と、明確な線引きってあるんだろうか?)が、私の中で「私の疑問」として息づいていて。
とつとつと私は言葉をつないだ。