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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
  3. 折々の言葉
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
折々の言葉
2020/01/26
「信じる」ということ〜折々のことば・鷲田清一#1674〜  
2019年12月20日の「折々のことば」。

「信じる」ということは、仮定形の上には成り立たないのではないか。 湯川豊


鷲田清一の解説。

大岡昇平の小説『野火』は、戦地で小隊からも病院からも見放され、山中を放浪する一等兵を描く。
疲労と飢餓で意識が朦朧(もうろう)となる中、ふと「神」らしき何かに見られていると感じた兵士の独白、「もし彼が真に、私一人のために」にふれ、文芸評論家はこう記す。
信仰は聴き届けられる保証のないまま差し出されるもの。
人を愛することもきっと同じ。
評論『大岡昇平の時代』から。

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折々の言葉
2020/01/24
がらんどうの頭蓋骨(ずがいこつ)〜折々のことば・鷲田清一#1682〜  
2019年12月28日の小池昌代の言葉。

背後を思うとき、自分ががらんどうの頭蓋骨(ずがいこつ)になったような気がする。


鷲田清一の解説。

後ろ姿というのはよりによって当人だけが見られないもの。
それは無防備に他人の視線に晒(さら)されている。
だからそれにふれる時、「見てはならないものを見たようで後ろめたい感じを覚える」と詩人は言う。
見えない背面、それは絶対に体験できない自己の死に似ている。
<私>の存在はその意味ですでに「彼岸」へと明け渡されている。
随想集『暗雲の下で卵をあたためる』から。

続き
折々の言葉
2020/01/07
「なんとなく」を軽視しない〜折々のことば・鷲田清一#1671〜  
2019年12月17日の「折々のことば」。
青木真兵の言葉。

「なんとなく」を軽視しているから、実は誰もが感じている「もやっ」を切り捨てて、「きちっ」としたものしか信じなくなる。


鷲田清一の解説。

人はクリアな判断のみに拠(よ)って生きてはいない。
「なんだか気持ちが悪い」とか「いつもはできるのに今日はできない」とかいった「なんとなく」を甘く見ていると、判断や感覚に狂いが生じると、奈良の山村で私設図書館を開く歴史研究者は言う。
もろもろの制度不全もここに一因がありそう。
青木海青子(みあこ)との共著『彼岸の図書館』から。

続き

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