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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
  3. ゲシュタルト療法
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
ゲシュタルト療法
2017/05/02
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(3)  
初日の続きをもう少し。
理論説明のあと、補足説明がありました。(「質問は?」と言われたのですが、しばらく誰も質問しなかったので、マイク自身が言葉を紡ぎました。)

「私が5歳のとき。世界の中で、こんな風にしたらうまくいく、というやり方を身につけた。大人になって5歳のときと同じやり方でやったらうまくいかなかっただろう。でも一部の人は一旦身につけたやり方にこだわる。新しいやり方がわからなくて、しばらく同じ癖、習慣でやるが、同じようにはうまくいかない」

「人それぞれである、そのプロセスに、私たちがどう向き合うか、なのです。それが異なるのをみるとワクワクします」

(マイクがひとりひとりに「何に興味があるか」を尋ねたときに、「自分が感じる怖さ」について話し始めて、泣いた人に向かって)
「私はあなたに付き添うつもりがありますから。あなたが、その怖さに向き合おうとするとき」
「私は勝手に、あなたの涙は悲しみばかりだと決めつけるつもりはありません。喜びの涙かもしれないから。それとも、誰か自分の怖さに付き添ってくれる人がいるという安心かもしれません。わかりません。」

ここで、ワークの前の「チェックイン」について、質問がありました。「チェックインは必ずするのか?」

「状況による。札幌(でのワークショップ)では、人が多すぎてやらなかった。(※30名を超えていたそう)ここだとできるし、私は皆さんが何に興味を持っているかを知りたかったので、そうした。それがチェックインと呼ばれるものなら、そう」
「でも、わざわざ『チェックイン』と呼ばなくてもいい。『チェックインしましょう』というと初めての人は途惑う。それよりは『あなたの興味のあることは?』といった方が抵抗感が少ない」

続いて「チェックインには形があるのか?」という質問に対して。

「だから、状況によると言えるんですね。礼儀がどうとか、下手すると形式張ってしまうという害が出てくる。形式ばらないのがポイント」

「そして、フィールドの形は、(私と皆さんが)だいたい同じキョリであること。平等に、ということです」

「理論をどのように実践に当て込んで展開できるか?  歴史・過去からではなく、『今、ここ』で、浮上するものに注意しましょう」と言われて、ワークが始まりました。

守秘義務があるので詳細は提示できませんが、マイクの言ったことで、心に残ったことだけ書き留めます。
「このキョリでいい?」
「それは存じ上げませんでした。近くなると何が怖いのでしょう?」
「わかります。…ただ、このキョリの問題は、あなたにとって何なのだろうと思ったのです」

「そういう風におっしゃると、人生を描写しているみたい。やりたいのに言えなくて運命に任せた。運命がジャンケンに勝たせてくれたら、それはそれでよい、と。」
「あなたにとって馴染みのある感じ? よくある感じ?」
「あなたの人生と、何かよく似てない?」

「あなたは負けることに慣れてきた。そのことに分かる、と言っているんです。私が悲しくなるのは、あなたは明確に説明しているのに、それを自分でわかっていないということ。」

(マイクは自分に自信がありますか? という、ワークを受けている人からの問いかけに対して)
「自信をつける練習をしていますよ。過去においては、あなたは自分で自信をつけるサポートを得られていなかった。私はあなたをサポートすることで、私の自信を掻き集めているんです。」
「じゃあ、終わらせましょうか? 自分の課題がわかりましたか? 自分の言いたいことを言う練習。ちょうど私とやったように、自分がちゃんと言った時に『あ、今、ちゃんと言ったな』と認識することが大事です」

「立ち上がって握手はどうですか? (それとも)やらなくてもいいんですよ」
「あなたの選択。自分にとってしっくりくる選択をしてください。」
「別に許可は入りませんよ。時間をかけてください。ここにいますからね。」
「あなたは自分で選択しましたね。だから、ちゃんとそのことにも気づいてください。」
 
ここでワークは終了し、質問受け付けです。

1  「マイクはAさんをどのように見ていましたか?」
Aが自分を見る目とは違った目で見ていた。Aは自分をあまり表に出さない。でも今回はちょっと見せることができた。だから「客観的」ではなく、「違う視点で見ていた」ということです。

2  「マイクはワーク中に自分の感情を表現されましたが、それは?」
「悲しかった」というのは自分の自然な感情として出てきた。(「悲しい」と感じても、自分は表現できない、という質問者に対して)そういう風に考えているうちは、思考にあって、感情とつながっていない。次は「体験する」(ことが必要)ですね。
「関係性」からいうと、ある人が表現して(それは、思考からかもしれないが)、セラピストにはそれはない。それは「関係性」と言わない。私にとって大事なのは、そこに関わること。「私にはこういうことが起きています」と伝えること。それが生き生きと関係を築くこと。

Aさんのワークは午後から始まり、次に私のワークとなり、それで初日は終わりました。…こうやってマイクの言葉を拾い上げるだけでも、なんだか暖かいものを感じます。とても丁寧に人を見ていることがうかがえます。そして、とても丁寧に、人に対していらっしゃる。穏やかに。その出発点は「自分に対して正直である」ところから生まれているように思いました。…今、吉野弘の詩「奈々子に」の一節「自分があって、世界がある」がふと浮かびました。

画像は、杏樹(アンジー)との朝の散歩で見つけた、ご近所の庭先のスミレ。…微細な中に真実は宿っているのですね。





ゲシュタルト療法
2017/05/01
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(2)  
一昨日のワークショップで、前回取り上げていなかったところから。
1日目の午前中は、「ゲシュタルト・セラピーの理論」として、5つの特徴を挙げて説明されました。(ところどころ、書き取れなくて抜けているところがあります。参加された方で、ご指摘いただけたら幸いです)

<ゲシュタルト・セラピーの5つの特徴>
1 Health/Wellbeing (健康/幸福)
ゲシュタルト(セラピー)は、病気の治療としてではなく、健康と幸福を高めるために進化した。
今日の実証的なものはある。それは病を治すもの。(※精神医療のことか?)それらは人間の一般的な状態を考慮に入れていない。CBT(※Computer Based Training - コンピューターを利用した学習支援システムのこと。ユーザーの理解度に合わせて、学習の進行状況を調整できるのが特徴。最初はコンピューター1台を使うだけだったが、ネットワークを利用したeラーニングへと発展した)のいくつかのアプローチはうまくいっていないという声がある。実際に精神病患者の数は上がっている。自分たち(※医者?)は持たずにゲシュタルトセラピーが持っているものはなんだろう?と注目し始めた。

2 Orientation to growth (成長への希求)
ゲシュタルト(セラピー)は、人間は自然の状態にあれば成長するという理論を受け入れている。私たちの自然の状態は成長に向かっている。でも、人生で常に成長を支える環境が整っているわけではない。何かのバリア(※障害?)があったりする。そしてそれが私たちの違いとなる。あなたの経験は私の経験ではない。
そして求めるのは成長のための理想的なサポート。自助的なサポートも求める。時間をかけて成長し、環境にばかり求めるのではなく、自助的なサポートにより成長しようとする。

3 Organising principle (構造についての大切なこと)
人生のどこかで死を迎える。人間のみならず生き物全てにこのことが当てはまる。…木だろうと蝶だろうと、どこかで自然な要因によって、成長が止まり、死ぬ。でも、自然の状態では成長に向かっている。子どもがいること自体、自分の成長。あるいは、子どものいない人も。

4 Meaning making (世界は意味づけを持った構造物である)
世界を組み立てて見ている。そして意味づけをする。自分の興味を表明しながら、自分の世界の意味づけに気づいた人もいる。世界をどう経験するか、それが「自分が何者であるか」につながる。それがゲシュタルト。

 5 Relational (関連性)
「私」という人間と私の「環境」について。その環境の中で私は特定の状態に立たされている。それが私という人間を形成する。それは時間を経て、常に変化している。その環境に合わせて、私は常に変化していかねばならない。
ゲシュタルト・セラピーの理論は65年〜70年の歴史がある。
ここ20年で、フロイトの精神分析から発達してきたことも認められた。そのことがゲシュタルトセラピーの「関係性」を受け入れ、発展させることにつながった。
理論の基礎の前提は他と異なる。でも、違う理論の基盤(パラダイム)を持っていて、まるで私が英語で話して皆さんが日本語で答えるかのよう。
2つの概念(コンセプト)。
「人間は原則的には関係性を持っている」という理論を持っている。
ゲシュタルト(セラピー)は、65年70年かけて、科学者たちがここ15年で明らかにしたものを、実証してきた。
他の発見として「マインドフルネス(感情の安定)」がある。あるいは「アタッチメント」とか。でも、わざわざそれを唱えている人がゲシュタルト(セラピスト)にいますか?  取り立てては言わないけど、実証してきたのです。

「4」について。私はこの4月からビジネス系の講座に参加していて、「自己棚卸し」のための質問項目に「30年という時間を与えられえたら、何をしますか。それはなぜですか。」というのがありました。私は「世界中を旅して、いろんな場所から朝日・夕日を見たい」と答えました。その理由として「世界は美しいというのを感じたい」としたのです。それが正直な気持ちだったので。…なんだろう、私はこの世に生まれてきてよかった、と思いたいから、かもしれません。こんな美しい世界に私は生まれてきたんだと思いたいのでしょうね。いろいろ悲しいこと、苦しいことあったけれど。それが私の「世界の意味づけ」なのでしょうね。…そんなことを、講義を受けながらふと思ったりしました。

今日はここまで。続きは次回。

画像は、「世界は美しい」と感じられる、朝の光。朝の杏樹(アンジー)との散歩で撮ったもの。

ゲシュタルト療法
2017/04/30
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(1)  
昨日から京橋の平松みどり先生の「みどり会」で、マイク・リードさんによるワークショップが始まりました。京橋のみどり会に行くのが初めてだったので、…そもそも、JR環状線の京橋駅で降りたことがなかったので、駅に降り立った途端、どの出口から出ればいいのかわからなくて、…そうそう、みどり先生、「京橋駅に着いたら、私に電話くれればいいのよ」とおっしゃってた、と思い出し、電話を掛けました。
が、お出にならなくて、さてどうしよう、とタブレットを取り出し、みどり会の住所を入力して、地図で見ました。なんとかナビに頼って、みどり会の場所を見つけました。

(あとでうかがうと、みどり先生、その時、バスで一緒になった90過ぎの男性のお話に引き込まれていたそうな。降りるところを行き過ぎてしまったそう。「あなたがお電話くださった時は、お話に夢中になっている頃ね。」ということでした。…お茶目なみどり先生!)

10時から15名の参加者で始まりました。昨年7月にGNK(ゲシュタルト・ネットワーク・関西)のベーシックトレーニングコースでお会いしてから、9ヶ月が経っているわけですが、お変わりなく穏やかな笑みを浮かべていらっしゃいました。

スタッフが椅子を3列に並べてくれていたのですが、マイクは一列に、そして半ラウンドにするように言いました。それから、なぜこのセッティングが大事なのかの説明から始まりました。(通訳付きです)

「このスタイルにすることで、私とあなた方ひとりひとりとの間に障害物がない状態になる。皆さんひとりひとりが直接的に関われる」
「このスタイルが好きな理由は、(私とあなた方とが)お互いに(直接的に)関わり合えるからです。これがすごく重要だと思っています」
「私とあなた方との間に空間がありますね。(ワークが進むにつれ)この空間が埋まっていく。それをこのスタイルが具現化する」
「質問を受ける方が、学ぶことが多いと思います」
「質問者の質問の中に、『あなた』という人が反映されていると考えます。単に質問に答えるというのではなく」
「何に興味がおありですか? それを基に2日間のワークショップを組み立てたい。」
「伝えるべきことを伝えました、はい、終わり、ではなく。」(※双方向のやりとり、という意味か?)

一連の説明の後、質問受付がありました。
まず1つ目。「ゲシュタルト・セラピーをする上で、大事にされていることは?」
「短く答えるなら『ある』。長く答えるなら、『皆さんが、この二日間の経験を通して理解されたらと思う』」
「私が重視しているのは、その時に『何を』経験しているか、だけでなく、『どのように』経験しているか、ということ。2日間を終えた時に、どのように経験したかを尋ねます」
「ゲシュタルト療法は、分岐点に差し掛かっている。けれど分岐点に立っているのはゲシュタルトだけではない。いかに効果的であり続けるか、というチャレンジに立っているのは他の心理療法でも同じ」
「とても重要なことは、ゲシュタルト・セラピーの理論・方法論をいかに、明確にしていくかということ。私はこのことに情熱を感じています」

2つ目「ゲシュタルト療法への情熱を持つきっかけは何だったのですか?」
「1975年のこと。家族療法のトレーニングをしていた私は、ある時ゲシュタルトのワークに出会った。家族療法の会議の前にワークショップがあって、その中のひとつにウォルター・ケンプラーという人のゲシュタルトセラピーのワークショップがあった。彼は家族の問題をゲシュタルト・セラピーで行うのを得意としていた。5日間、ホテルで行われていた。そのホテルの部屋でウォルターは、カップルや家族に働きかけていた。私はとてもショックを受けた。洗練された、そのワークに」

3つ目「マイクは自分自身のどこが好きですか?」
「ちょっと質問を変えていいですか? 『私はどんなところを好きになりつつあるか?』に変えていいですか?」
「他者と関わる時に芽生えてくる好奇心」

ここで10分休憩。(1時間半が経過していました。)以下、マイクの説明再開。
「ゲシュタルトの基盤となっているものは『違い』。『あなた』は違う人、あなたから見たら『私』は違う人。ここで私の好奇心が動き始める。『違う』二人が出会った。これがカギとなる問いかけです。ゲシュタルトの理論において、共通の理解を求めて確立させるのではない、同意を求めているのではない。『(〜という考え方に)招待している』と考えてください」

「ゲシュタルトの際立った点が最初からあった。それは『健康』『幸福』に焦点を当てているということ」
「人が自然な状態で、どんな傾向を持っているかを理解し、そこから生まれた療法。その基盤として、ひとつが『(人間は)健康を望む、幸福を望む、そしてそれらを追い求める』ということがあった」
「自殺する人もこの世にいるじゃないか!という人もいるが、それは人間の自然な状態ではない。絶望の状態にあったと言える。絶望度があまりにも強くて、健康や幸福の追求ができなかった」

このあと引き続いて、ゲシュタルト療法の特徴を5点説明されたのですが、長くなるので、今日は項目だけ出しておきます。
  1 Health/Wellbeing (健康/幸福)
  2 Orientation to growth (成長への希求)
  3 Organising principle (構造についての大切なこと)
  4 Meaning making (世界は意味づけを持った構造物である)
  5 Relational (関連性)

さて。昨年7月にはジャンケンで最後になって、私に残された時間は3分間だけでした。マイクの前に立って、3分の時間を味わうというより、「3分だけなの?」という思いが渦巻いて、味わうどころの話ではありませんでした。
今回はワークの時間は2番目で、十分に時間はありました。

マイクの前に椅子を持っていって、かなり近くに座って、じっとマイクの目を見ました。鳶色の穏やかな目がそこにありました。少し悲しそうにも見えるその目を見ていて、なんだか、じんわりと涙が出てきました。…この9か月、いろんなことがありました。けれど、あなたの前に居ると、そんなことはどうでもいいような気持ちになってきます。あなたの存在そのものが優しい。その存在に包まれている気がする。…まあ、これはみどり先生にも少し感じることなんですが。

私の問題は、ないことは、ない。けれど、自分で努力して、なんとかできることはなんとかしていくし、なんともならないことは、そのまま持っていて、でも生きていける、という気持ちでいます。

「私に何かしてほしいことは?」と問われて、迷わず「ハグしてください」とお願いしました。ハグしてもらって、私はもうこのワークを終えていい気になりました。9か月前の「unfinished work(未完了な問題)」が、完了しました。
そして、9か月前に同じワークの場にいて私の3分間ワークを見ていてくれてた人が二人もいて、良かったねと思ってくれていることを受け取れて、私は二重に幸せを感じました。…20分足らずのワークでした。でも私には永遠にも等しい20分でした。

画像はファシリテーターのマイク・リードさん。カラフルなソックスが見えないのが残念。(紳士物には黒、グレー、紺しかないのが不満で、明るい色のソックスを履こう!ということで、「ハッピーソックス」というブランドのものを7年前から買われているそうです。)…そうそう、オーストラリアンイングリッシュは「today」が「トゥダイ」、「can't」が「カント」、「maybe」が「マイビー」、「change」が「チャインジ」でした…。

ゲシュタルト療法
2017/04/17
ゲシュタルト療法トレーニングコース最終回(3)  
GNK主催の「ゲシュタルト療法トレーニングコース」の最終回も、いよいよ最終日を迎えました。前日と同じく、朝5時半過ぎからの本堂での「朝のお勤め」に参加し、再び「戒壇巡り」をして、もう一度「生まれ変わる」体験をし、引き続いての千手院での「朝の護摩焚きお勤め」にも参加して、一日が始まりました。

朝のワークは9時開始で、簡単なチェックインの後、「夢ワーク」に取り組むことになりました。最初に百武さんから受けた「夢ワークのやり方」は次のとおりです。

<夢ワークのやり方>
1  「どんな夢を見ましたか?」から始める。
2  ある程度全体像がつかめたら、「あなたの目の前の『夢の扉』を開けて、実際に夢の中に入って、現在形で語ってください」と声掛けをする。
3  焦点を当てるところを決める。① ファシリテーターが焦点を当てたいところを選ぶ。  ② 「印象的な場面はどこですか?」とクライエントに聞く。
4  夢に出てきた人、動物、家、風景など、「そのものになってみる」ことを提案し、「私は〜です。」という言葉で、何かになってみて、見えることや感じることを話してもらう。夢の中に出てきた人物に対話させてもよい。(サイコドラマ風に。)このようにして、「全体像の私」に気づく。(色、形、人物、もの、風景は、すべて「私」である)
5  「夢」に対するファシリテーターの立ち位置として、1つは「その人が体験していることの未解決なものである」という立場と、もう1つは「夢は自分が投影しているイメージで、言葉で表現できないものを象徴的に体験している」という立場があるが、その都度変えていくのではなく、どちらかを自分で選ぶ。(いずれにせよ、答えを出すのではなく、自分の人生の指針としてシンボリックに受け取る。

クライエント役1人に対して、ファシリテーター2人(そのうちの1人が私)という形で、CFO体験を行いました。ついつい、「現在形で語ってもらう」「夢の中に出てきた何かになって、そのものとして話してもらう」ことを忘れて、ちょっと混乱しました。


軽く昼食を取った後は、なんと! 70を過ぎた百武さんが、バンジージャンプに挑戦!ということで、メンバーは動画撮影やら写真撮影やらに奔走して、誰も後に続いてバンジージャンプには挑戦しませんでした。(みんな、エリカ・ジョングではないけど「飛ぶのが怖い」状態だった…)
無事終了して、ヤレヤレ、だったのですが。(私は写真を撮るのに橋の上から下を覗くだけで、なんだか足裏がムズムズしてくる感じがした…。)
一連の流れ(飛ぶ前、飛んでいるところ、飛んだ後)は、百武さんのHP内のブログでアップされるとのことです。お楽しみに。

バンジー騒ぎで、ちょっと疲れて、午後のワーク再開は2時となりました。

「何をやりたいですか」とファシリテーターに促され、私はとりあえず、百武さんの前に座りたくなりました。これといったワークのテーマがあったわけではないのですが、百武さんの前に座り、内部領域の気づきを言うように声掛けされて、それを行い、次に外部領域の気づきを言うように声掛けされて、それを行い、ゆっくりと周囲を見渡して、「いろいろ抱えている問題はあるけれど、でもまあ、いいや、という気持ちになりました。」と言って、ワークは終了となりました。

私の抱えている問題は、まだいろいろあるのだけれど、その問題を抱えたままで、でも私はやっていけそうな気がしたのです。こういう感覚が、生きていく上で大事な気がしました。「私には抱えている問題がまだある。そして、その状態で私は生きていける」。(ゲシュタルトでは、「but でも」ではなく「and そして」を用いるんだ、と言われたことを今思い出しました…。)

3日間、とても豊かな時間でした。そして、トレーニングコースの1年間もとてもとても豊かだった。百武正嗣さん、メンバーの皆さん、そして主催者のかずりんこと白坂和美さん、ありがとうございました。

画像は最後にみんなで書いた寄せ書き。(百武さんが中央に「空とぶゲシュタルト」と大書きしました…!)



ゲシュタルト療法
2017/04/16
ゲシュタルト療法トレーニングコース最終回(2)  
GNK主催、「ゲシュタルト療法トレーニングコース」合宿の2日目、朝5時半から本堂での朝のお勤めに参加し、引き続いて本堂の「戒壇巡り」をしました。これは、お寺によっては「胎蔵界巡り」と呼ばれているものです。
「胎蔵界」とは「密教で説く二つの世界のひとつで、金剛界に対して、大日如来の理性の面をいう。仏の菩提(ぼだい)心が一切を包み育成することを、母胎にたとえたもの。」(デジタル大辞泉)とあります。(ちなみに「金剛界」とは「密教で、大日如来の、すべての煩悩(ぼんのう)を打ち破る強固な力を持つ智徳の面を表した部門。」(デジタル大辞泉)だということです。)

本堂の地下に、暗闇の中ぐるりと一周回れるようになっていて、塗香(ずこう)を手のひらに塗って、右手で壁面を触りながらゆっくりと一周しました。…私は、胎内に一旦戻り、産道を通って、また、生まれ出たきた感じを持ちました。

その後、千手院に戻り、ここでは護摩焚きをしながらの朝のお勤めがありました。般若心経その他を一緒に唱和しながら、最後に「毘沙門天護摩祈願」をひとりひとり受けました。


6時45分からの朝食の後、午前のワークは9時からでした。CFO(クライエント・ファシリテーター・オブザーバー)体験を始めるにあたって、ファシリテーターの百武さんから3点、説明がありました。

<CFO体験での注意事項>
1  ストーリーに乗っからない
   「ストーリー」とは本人の説明。それは本人が「解釈」していることで、そのストーリーに乗っかってしまうと、本人の「自分の中のサイクル」が回り始めるだけで、そこから抜け出せない。

2  「気づきの3つの領域」に問いかける
   「 3つの領域」とは、「外部領域(現実の世界)」「中間領域(思考レベル)」「内部領域(からだ)」。思考をストップさせるのは、思考が悪いわけではなく、偏っているからよくないだけ。感覚・感情に目を向けさせることで全体像に近づこうとする。

3  何かを変えようとする必要はない
    3つの領域に目を向ける「問いかけ」をすることが必要。ゲシュタルトでは「十分に経験する」ことをする。解釈しないで、(痛みなど)治そうとしないで、今感じている感情や痛みを十分に味わう。「十分に経験する」ことが「気づく」ための大事な条件。

9時半から始まった朝のCFO体験では、2人ずつペアになり、25分ずつファシリテーター役とクライエント役になりました。「エンプティー・チェア」を使う方法で行い、テーマは「自分を育ててくれた人」でした。「エンプティー・チェア」技法を用いるのあたっての注意事項は次の3点。

<エンプティー・チェア技法>
1  人物像がファシリテーターに明確になった時に、エンプティー・チェアを置く。
2  その人がいるように、少し時間を取る。
3  1つの話題、1つのできごとに絞る。

なお、ワークのための「気づきの4つの問いかけ」は次の4点。

<気づきの4つの問いかけ>
1  今どんなことに気づいていますか?
2  身体の中で、何が起きていますか?
3  あなたのしたいことは何ですか?
4  気づくことをどんな方法で止めていますか?


さて、午前の部で私が学んだことは、「どこでワークを終えるべきか」ということでした。
私のクライエント役となった人が「自分を育ててくれた人」として母を挙げたのですが、話し始めると、母との葛藤が出てくる。
百武さんに「ファシリテーターとして、このまま続けるか、やめるか、どちらを選択するか」と問われ、「テーマとは離れるけれど、クライエントにとって大事なことのように思えるから、続けます。」と答えたのですが、その判断は誤りでした。私は「情」の部分で動いてしまったように思います。けれど百武さんが指摘したのは「自分を育ててくれた人として母を出したのに、母との葛藤が焦点化されている。これが、1つの課題となっている。(クライエントにとって)どういうことが自分を育ててくれたかが明確になると、問題はクリアできる。でも、今のままだとループになって(葛藤が)強化されるから、やめたほうがいい」ということでした。
その「やめ方」としては、「ファシリテーターが、今起こっていることをクライエントに説明してグランディングすること」と言われました。そうして「断つ」のだと。


午後のワークは、1時半過ぎからの「滝行」の後、3時から始まりました。今度のCFO体験は「エンプティー・チェアを使わない方法」で行うものでした。エンプティー・チェアを使わないで、ファシリテーターに対して「私がその人だと思って、言いたいことを言ってください」という声掛けをして、クライエントが内に閉じ込めていたものを外に表現するように働きかけるのだということでした。テーマは「自分の苦手な人」。

「いつ、どこで、何があったのですか?」という問いかけで「外部領域の気づき」を促し、「そういうこと、そういう人に対して、何を感じていますか?」「どんな気持ちでいますか?」「どういう風に伝えたいですか?」という問いかけで「内部領域の気づき」を促すのだということでした。

私が苦手な人として取り上げたのは、母でした。母が絶対的に苦手、というわけではないのだけれど、時折とっても嫌になってしまうということで。「いつどこで、何がありましたか?」に対して、「今回の合宿に参加するために家を出る時、ちょうど宅配が来て、なんだろう?と思って中を確かめて、その後、家を出る時間が迫って来たので、宅配のダンボールを折り畳んでゴミ置き場に片付けないで、玄関の靴箱の上に置いておいたところ、母が『また、最後まで片付けないで置いてる!最後、もうひと手間片付けてくれたら、私の手も煩わされないで済むのに。」と言ったことに私は腹を立てて、『何で、それを今言うの? 私は今、出かけようとしているところなのよ!』と言ってしまった。」という話をしました。

CFO体験で私は「過去に母が自分の気持ちを優先するばかりで、私の気持ちにお構いなしに言ってくることが多くて、それも自分の価値観、感覚を絶対的なものとして押し付けてくることに、イラっとしてしまう。子どもの頃の私は何も言えなくて。大人の私は言えるようになったのはいいんだけど、過去の『未完了な問題』が蓄積されているから過剰反応してしまうのかなあ…」と思ったところで、タイムリミットとなりました。

このワークについて、ファシリテーター役の人が、「(クライエントに)感情を出させた後、どう関わっていいのかわからなくなって…」というシェアをしたので、それは他の人も自分のファシリテートに感じていたことだったので、みんなの前で再現することになりました。

母に片付けるように言われた私が感じた感覚、胸の方から喉元に湧き上がってくる「グワッとした」感覚、そして「またかい!」という言葉、それをもっと感じるようにと百武さんに言われました。何度か右手で胸から喉元に何かが突き上げてくる動作をしながら、その時の感情を思い出していると、突然、「ギャー」か何かわからない声とともに右手が何かを襲うような、仕草になりました。即座に百武さんに「何かに襲いかかっているようだね」と言われ、その右手で、私は母を捉えようとしていたんだと思いました。その瞬間、私の口から出た言葉は「私は母をまだ許してないんだ…」でした。

『トレーニングテキスト』には「気づきのサイクル(経験のサイクル)」として「0」から始まり、次のような流れでサイクルが示されています。

<人が水を飲みたくなるプロセス>
Sensation(感覚)→Awareness(気づき)〈図形成〉→Mobilization(行動に移そうとする)→Action(取りに行く)→Contact(水を取る)〈現実にあるもの、人〉→Assimilation(水を飲む)〈統合、消化〉→Withdrawal(引きこもり)〈うるおう〉→ 0

百武さんは、このサイクルの良さは「どこで止まったかで、問題が説明できる」ということだと言われました。私の場合は、「Contact」の部分が問題で、「片付けたくないのに、片付けるように介入される」ことにイラっときているのだとわかりました。つまり、私が考えたように「過去の未完了なことが問題」なのではなく、「今ここで起こっている母の侵入」が問題だったのです。「過去の未完了なことが問題」と思ったのは私の中間領域の「解釈」に過ぎなかった。…これには本当にびっくりしました。自分の感情を味わい続けていると、自ずと答えが出るのですね。私は母の、私に対する「侵入」に対して、怒りを感じていたわけです。なぜ、私のペースでなく母のペースで「片付け」のタイミングを決められなければならないのか、と。

百武さんから「ここでワークを終えておきましょう」と言われました。「私は母を許していない」という気づきを得たわけだから、それから先に進むのではなくて、それを十分味わうように、とのことでした。

私は母はこういう人だから、と諦めているつもりだったのです。そういう母を認めて受け入れようとしているつもりだったのです。しかし、そうではありませんでした。「なぜ、あなたは自分の感情ばかりを優先して、私の気持ちに気づこうとしないのか?」それが私の正直な気持ちでした。

いやはや、ゲシュタルトは、まだまだ奥が深いですねえ。CFO体験で初めて見えてくるものもあります。いつぞや平松みどり先生がおっしゃった、「よくもまあ、ゲシュタルトというヤクザな道に。もう、ちょっとやそっとで足を洗えませんわよ。」が頭の中で響き渡ります。

画像は、今朝も昨日に引き続き、5時半の本堂でのお勤めに参加する前に撮った日の出。ちょっと雲がかかりました。

 <追記>
エンプティー・チェアを使わない方法で、ファシリテーターに向けて「怒り」を放出させるためには、ファシリテーター自身が自分の問題を解決していないと「怒り」に対して対処できない。ということは、エンプティー・チェアを使わない方法はファシリテーターができるようになっているかどうかの指標になるのだろうか、ということをちょっと考えました。百武さんに質問し忘れたので、次の折に確認しようと思っています。



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