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  1. コラム
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  3. ゲシュタルト療法
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
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ゲシュタルト療法
2017/02/20
クリアリング  ア  スペース(Clearing a Space)  
GNK主催のゲシュタルト療法ベーシックトレーニングコース第11回2日目は、「クリアリング ア  スペース」から始まりました。1枚の画用紙の真ん中に、自分で自分を呼ぶ時のしっくりくる呼び方を、しっくりくる色で書きます。そして丸で囲む。次に、今、心に浮かんでいる「気になっていること」を、これまたしっくりくる色を選んで好きな位置に書き込みます。そして、また好きな色と形で囲む。他にもう気になることはないかと自分の中を探り、同じように書き込んでいくのです。

「気になること」と言われて、まずは気がかりな「嫌なこと」が浮かんだのですが、次第に、気になっている「楽しいこと」も浮かんできました。最後に「馴染みのある感覚を書き入れてください」と言われ、右下にもやもやする気持ちを紺色でぐしゃぐしゃと書き込んだのですが、その気持ちは「気になること」全般に対してではなく、「嫌なこと」がクローズアップされて生じていることに気づきました。「嫌なことばかり」ではないのに、どうも気持ちは「嫌なこと」に引きずられている、ということに気づいたのです。

「気になること」のうち、「嫌なこと」に対してはトゲトゲの形で囲みたくなり、愛情を感じるものに対してはハートの形で囲みたくなりました。

そうして「一旦、その、気になることを、横に置いてください。」と言われ、少し自分から切り離して「眺める」ことができました。ピッタリ自分に張り付いているように感じられていた「気になること」から少し離れられ、心に余裕ができました。

「気になることはこのようにして、横に置くことができるということを覚えていてくださいね。」と言われ、…そうか、こんなふうにして「気になること」との膠着状態から脱することができるんだ、ということを知りました。

「買い物メモと同じことですね。書き上げたら、実際に店先まで出向いて買うまで、ちょっと忘れていることができる。必要な時にメモを取り出せばいいのだから。書き上げるとそれで、必要な時まで忘れていることができるのですね。」

ふむふむ、そういうことか。それに、特に何が気になっているのかも一目瞭然。私の場合は、トゲトゲの形で囲まれたことがら。

これはフォーカシングの一つの所作のようで、「 気がかりやその〈感じ〉から適切な距離をイメージしてみる」ことだそうです。「悩む」とは気がかりや〈感じ〉を近くに 持ちすぎていること。適切に距離がおけたら、気がかりを「冷静に」眺めることができるというのです。

それでは、ゲシュタルト療法はフォーカシングとどこがどのように違うのか。

凛さんは、まだはっきりとはしない「もやもやしたもの」や「言葉で言い表すようになる前の感覚」をフォーカシングでは、フェルトセンスと呼び、それを探ったり、味わったりというところは共通点であるけれど、「では、それをここに置いてみましょう、というように『視覚化』するのはゲシュタルト(療法)」と説明されました。フォーカシングはそういった「視覚化」はしない、と。

もやもや感を視覚化して、一旦自分から切り離して眺めていると、それ自体が動き出して形や意味が変わっていく…、ということがゲシュタルト(療法)では、よく起こります。気持ち悪く感じていたものが、それほどでもなくなったり、別の物に形が変わって、「そういうことか!」という気づきが生まれたり。

このダイナミックさはゲシュタルト(療法)特有のものである気がします。逆に、微細で繊細な感覚を探っていくのがフォーカシングの特性、という理解を私はしました。

そのあとワークを受けて、途中で、「現実的な問題としての関わり方という問題もあるけれど、今ここでは、ゲシュタルトでできること、つまり、まこさんがその人への関わりをどうしたいのか、ということを扱いたいのですが、いかがですか?」と提案されて、これにもはっとしました。…そうか、ゲシュタルトでできることは、問題と感じていることに、私がどう関わりたいのかを明確にすることなんだ、と。

このような整理の仕方は、チェックインの時に「ゲシュタルト(療法)は万能ではない」と言われたことにつながります。それは、他の療法との関係だけでなく、ゲシュタルト(療法)はどのようなことがらを扱えるのか、ということ。
第11回は、残り1回を前にして、ゲシュタルト療法に対してさまざまに整理することができたという意味で、本当に豊かな2日間でした。有村凛さん、ありがとうございました。

ゲシュタルト療法
2017/02/19
ゲシュタルト療法は万能ではない  
今月のGNK主催のゲシュタルトベーシックトレーニングのファシリテーターは、有村凛さんです。1日目が終わったところですが、昨日1日だけでも、色々な気づきがありました。

まず、チェックイン(ワークの開始)で、凛さんが言われたのは「ゲシュタルト(療法)は万能ではない」ということ。一つの療法でOKであるならば、世の中にさまざまな療法がある必要はない、と言われて、それもそうだと思いました。凛さんはフォーカシングも学ばれている方なのですが、他を学ぶことで、両方の良さが際立つ、とも。

これまで「ゲシュタルト(療法)は凄い!」という言葉を聞いても、「ゲシュタルト(療法)は万能ではない」などと、一見ゲシュタルト療法の限界を示唆するような言説は初めてだったので、ちょっとびっくりしました。
でもそれはゲシュタルト療法を否定する言葉ではなくて、ゲシュタルト療法を軸としながら、何ができるかを探求することを意味していました。

私のCFO(クライエント・ファシリテーター・オブザーバー)体験も、本当に私に必要なアドバイスをいただきました。Iさんがクライエント役をやってくれたのですが、Iさんとこれまで一緒にワークを受けてきたこともあり、それから考えると意外な言葉がIさんから出てきた時に、私は「え?そうなの?」と素直に、感じた疑問を口にすることができず、表面的に淡々と進めてしまいました。それを「まこさんらしさが、まるで出ていなかったファシリだった」と指摘されました。

最初は何を言われているのかわからなかったのですが、つまりは私が「自己一致」せずに、そして「敢えて危険を冒さずに」無難に進めてしまった、ということだと理解できました。

私の知っているIさんらしくないことを「え⁈そうなの?」と指摘できるのは私だからこそできることなんだから、それをスルーせずに問うことがIさんと「我と汝の関係」で向き合うことだったんだ…とあとで気づいた次第。

どんな状況でも自然体で、ということなんですね。自然体で我も汝も大事にすること。言うのは簡単ですが、いざ、実行しようとするとよくわからなくなる。自然体で、って意識すると遠ざかるような気がする。
意識せずに自然体でいること、なんてホント、修行僧の修行のようですね。

それにしても「まこさんらしくないファシリ」だなんて。午前中に感じた私の雰囲気をもっと感じられるように、もっと自分を出していいんだよ、という意味だったのですが、「ファシリテーターの数だけ、異なるファシリがある」中で、どんなスタイルを私は編み出していったらいいのか、そんなヒントをいただけたアドバイスでした。

ゲシュタルト療法
2017/02/18
ゲシュタルト仲間  
今日明日は、GNK(ゲシュタルト・ネットワーク・関西)主催の「ゲシュタルト療法ベーシックトレーニングコース」の日です。2016年度は、4月から毎月1回の土日で行われてきましたが、残り2回となりました。基本、毎回ファシリテーターが変わり、「ゲシュタルト療法はファシリテーターの数だけさまざまなファシリがある」ことを実感してきました。

さて、今日はどんなワークになるのかな? と楽しみなのですが、いつも、1日目の夜はファシリテーターを囲みながら「親睦会」となるので、そこに、今年作った「牡蠣のオイル漬け」を持って行こうかと思っているのです。そろそろ食べ始められるかな、の頃で、本当はもうちょっと漬けた方がいいのかもしれないのですが。

こっそりと持っていって、夜になってから披露しよう…

その時だけの参加者が加わる時もあったのですが(外国人ファシリテーターを召喚した時など)、基本はトレーニングコースの固定メンバーで一年を過ごしてきました。そこで生まれた、なんだか家族のような、不思議な感情を伴った「ゲシュタルト仲間」。…何だろう、離れて暮らしても、今後、離れて生きていっても、相手の健やかな毎日を自然と願えるというような…。それは、自分の感情を、自分の辛さをワークで出した時に、その場に一緒にいて受け止めてくれた、という安心感。信頼感。自分が大事にされたという記憶。

こんなに安心できる場所があるんだ、というのはかけがえのない幸福だと思います。その場所は、固定された場所ではなく、参加メンバーの生み出す「心の場所」。「今、ここ」の充足感。

永遠に続くものではなくても、その幸せな記憶というのは身体の奥底に実感として残っていて、いつでもそこに立ち返ることができる。…ちょうど「トラウマ」の真逆の記憶。

その幸せな記憶は、プレトレーニング仲間にも感じますし、今のベーシックトレーニング仲間にも感じます。全く構成メンバーが異なるのですが。私が私に立ち戻れる機会をこんなにもたくさんいただけたことに感謝の気持ちも湧いてきます。

…ということで、ほんの気持ちの「牡蠣のオイル漬け」です。

ゲシュタルト療法
2017/02/07
感じる心を取り戻す〜谷川俊太郎の詩「生きる」〜  
 「生きる」         谷川俊太郎

  生きているということ
  いま生きているということ
  それはのどがかわくということ
  木もれ陽がまぶしいということ
  ふっと或るメロディを思い出すということ
  くしゃみすること
  あなたと手をつなぐこと
 
  生きているということ
  いま生きているということ
  それはミニスカート
  それはプラネタリウム
  それはヨハン・シュトラウス
  それはピカソ
  それはアルプス
  すべての美しいものに出会うということ
  そして
  かくされた悪を注意深くこばむこと
 
  生きているということ
  いま生きているということ
  泣けるということ
  笑えるということ
  怒れるということ
  自由ということ
 
  生きているということ
  いま生きているということ
  いま遠くで犬が吠えるということ
  いま地球が廻っているということ
  いまどこかで産声があがるということ
  いまどこかで兵士が傷つくということ
  いまぶらんこがゆれているということ
  いまいまが過ぎてゆくこと
 
  生きているということ
  いま生きているということ
  鳥ははばたくということ
  海はとどろくということ
  かたつむりははうということ
  人は愛するということ
  あなたの手のぬくみ
  いのちということ (詩集『うつむく青年』1971年刊)


「読書への誘い」第4号で紹介した詩です。

生きている実感というのは、食べものを口にして「ああ、美味しい!」と感じたり、好きな音楽を聴いてそのメロディーを身体中一杯にしたり、大切な友人と一緒にいて、穏やかな時間が流れるのを感じたり、…つまりは、自分の感情を感じたままに表現できるときに生まれるものではないかと思います。

何か辛い経験をして、しかも、辛いと感じることまでも自分に禁じていたら、何か自分が自分でないような、生きていること自体が苦痛になってしまいます。

ゲシュタルト療法を学んで知ったことのひとつに、自分が辛い思いをする原因となったことや人に、ちゃんと怒りを向けないと、その怒りは行き場をなくし、攻撃は自分自身に向かい、自分を責めて自己嫌悪に陥ったり、胃炎などの痛みを生じさせる、ということです。

現実生活で実際に相手を責めるということではなく、ワークの中で、きちんと自分の感情に向き合い、怒りや悲しみといった、一般的に「負の感情」とされているものの存在をきちんと認め、受け入れること。
そうすることでその感情を固着させることなく流していく。流すことで怒りや悲しみが消えていくというものです。

自分の感情を感じなくする方法は、大体は身体を固くして、自分の感情を自分の身体の外に出すこと。それが分かるのは、私自身がそうやって「感じなく」して自分を守ってきた記憶があるからです。

初めて人前で泣けた、と言ったNさん。
ゆっくりと、あなたのペースで、あなたの感情を取り戻し、そして解き放っていきましょう。
大丈夫、私があなたのそばにいます。あなたが自分で「もう大丈夫」と思えるまで。

<沙羅Saraのほっと一息 詩の時間>
第二話 「生きる」  https://youtu.be/tbPtF3FJ-Bg

ゲシュタルト療法
2017/01/16
川崎 洋の詩「言葉」  
昨日のゲシュタルト トレーニングコースで、ファシリテーターの白坂和美さんから「ゲシュタルト療法ってどんなもの? というのを誰にどんな風に説明しますか」という「お題」をもらい、メンバーそれぞれが考えてプレゼンテーションするというワークをしたのですが、その時にふと思い出したのが「私の『青』は/あなたの『青』なのだろうか?」というフレーズでした。
誰の何という詩だったか、全部を思い出すことができなかったので、別の説明の仕方を考えましたが、実は「読書への誘い」の第10号で紹介していた、川崎 洋の「言葉」という詩でした。

    言葉          川崎 洋
 
 演奏を聴いていなくても
 人は
 ♪を耳の奥に甦らせることができる
 言葉にしなくても
 一つの考えが
 人の心にあるように
 むしろ
 言葉に記すと
 世界はとたんに不確かになる
 
 私の「青」は
 あなたの「青」なのだろうか?
 あなたの「真実」は
 私の「真実」?
            (詩集『祝婚歌』・1971年刊)

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