《ずっとずっと むかしのこと、
やまの かみさまは てんぐどんじゃった。
ひでりが つづいて さくもつが かれて
しまうと、じまんの うちわを ひとふり、
あまぐもを よびよせて、たや はたけを
みどりで うるおす。
わるい びょうきが はやっても、
てんぐうちわを ひとふりすれば、たちどころに
はやりやまいを おいはらう。
それはそれは、ありがたい かみさまじゃった。》
なんか、意気揚々とした天狗どんが、颯爽と登場します。
…神さま、なのですね。
《じゃによって、てんぐどんの すむ やまのてっぺんの、おおきなきのしたには、
「てんぐさま、こどもを さずけて くだされや」、
「しょうばいが はんじょう しますように」
と。いつもいつも おそなえものが いっぱい。
おかげで てんぐどん、まいにちまいにち、ごちそうをたべて、
かおは つやつやの まっかっか。》
チビウサギとデカウサギのお話。
でも、親子ってわけでもないみたい。
‘ちいさなちゃいろいノウサギは、おやすみのじかん。
おおきなちゃいろいノウサギのながいみみにつかまって、ベッドへいくところ。’
‘ちいさなウサギは、おおきなウサギに きいてみたくなった。
「どんなに、きみがすきだか あててごらん」
「そんなこと、わからないよ」と、デカウサギ。’
「こんなにさ」
チビウサギは、うでをおもいきりのばした。
デカウサギのうでは、もっと
ずっとながかった。
「でも、ぼくは、こーんなにだよ。」
なるほど、それは、うんとだ。
チビウサギは、かんがえた。
こんなふうに、チビウサギは自分の身体を使って、「どんなにきみがすきだか」を一生懸命表現しようとします。
でも、そのたびに、デカウサギの身体の方が大きいから、言い負かされてしまうのです。
身体で表現することに限界を感じたチビウサギは、距離で表現しようとします。
「きみのこと、このみちをずっといって、かわにとどくぐらい すきだよ」と叫ぶ。
なのに…
「ぼくは、きみのこと、かわをわたって、おかをこえたぐらい、すきだよ」な〜んて、あっさり返されてしまう。
もうねむくて、なんにもおもいつかないチビウサギは、
「ぼく、おつきさまにとどくぐらい きみがすき」と言うと、眠ってしまいます。
‘「それは、とおくだ」と、デカウサギ。
「それは、とてもとても、とおくだ」
デカウサギは、チビウサギを木の葉のベッドに、そっとねかせると、かがんでおやすみなさいのキスをした。
それから、チビウサギのそばによこになり、ほほえみながらささやいた。
「ぼくは、きみのこと、おつきさままでいってーーーかえってくるぐらい、すきだよ」’
他愛もない、と言ってしまえばそうなんですが。
私はいつの頃からか、現代文の授業開きは『百万回生きたねこ』で、授業の最後はこの『どんなにきみがすきだか あててごらん』で閉じていました。
チビウサギは、いつもいつもデカウサギにかなわないのですが、でも、それでもいいよね、その時にできる精一杯で、というような話をしたような。
でも本当は、そんな「理屈」より、単に「好きだよ」の連発が、なんだか心地良かったような。
子どもにもそんなふうに「だあい好き!」と言いたかっただけだったように、1年間を過ごしてきた生徒たちにも単に「あなた方が大好きよ」と言っておしまいにしたかった、ような気がする。
いろんな生徒がいたけど、もちろん、相性の合う合わないもあったでしょうけれど、1年間、いろんな文章を書かせてきて、ひとりひとりの個性がよくわかって、書くことが得意な人も不得意な人も、それぞれに1年間の成長が見られて、いとおしい気持ちになりました。
…そんなことを、この絵本を読み返して思い出しました。
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